高校野球の甲子園と言えば、常にスターが生まれドラマを作る聖地。

 

怪物と言われる選手や、速球王や、奪三振王など色々な異名を持ったスター選手が何年間に一度は現れます。

 

そのスター選手たちはその後どのような人生を過ごしているのか…?

 

あの大好きだった選手や社会現象を起こした選手はプロで活躍したの…?

 

などなど気になる事も多いですよね!

 

そこで今回は甲子園のスター選手についてのその後と、私的ランキングを発表します!

今回は投手編です!

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第10位:辻内 崇伸

引用:neverまとめ

 

甲子園で左腕でありながら、過去最高球速となる156キロをプロのスカウトが記録し新時代のスーパーサウスポーとして大注目された辻内崇伸(たかのぶ)選手。

 

ドラフト1位で巨人に入団したまでは良かったのですが、怪我に苦しみ1軍での登板は一度も無いまま2013年に引退。

 

その後は会社員として不動産業界へ務めますが、日本女子プロ野球への誘いを受け指導者として活躍しています。

 

2017年現在では埼玉アストライアという女子チームのヘッドコーチを務めています。

第9位:寺原 隼人

出典:naverまとめ

 

第83回夏の甲子園で150キロ越えを連発し、甲子園記録だった151キロを塗り替え154キロを記録して、平成の速球王として甲子園で話題となりました。

 

ソフトバンク入団後も「寺原フィーバー」が起き、キャンプ中の集客人数の新記録を作りました。

 

プロでは期待値程の結果は出ませんが、息の長い投手として活躍しておりダイエー→横浜→オリックス→ソフトバンクと移籍しながら活躍しています。

 

2017年時点ではプロ通算70勝を挙げています。

第8位:ダルビッシュ有

出典:毎日新聞

 

高校時代から別格の存在として有名になっていて、甲子園でもノーヒットノーランを達成するなど大物として扱われていたダルビッシュ有選手。

 

最後の夏の甲子園では1回戦から2試合連続完封などを見せ26イニング連続無失点などの記録を残します。

 

日本ハムへ入団し、エースとして君臨しその後はメジャーリーグのテキサスレンジャーズでもエースとして活躍。

 

肘の故障でトミージョン手術などを受け、苦しんだ時期もありましたが現在でもメジャー屈指の先発投手として活躍しています。

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第7位:荒木 大輔

引用:SANSPO.COM

 

1980年代の日本中に大ちゃんフィーバーと言われる社会現象まで引き起こし、子供に荒木氏にちなんで「大輔」と付ける親まで多数現れるほどの熱狂ぶり。

 

ちなみに松坂大輔選手の大輔という名前もこの荒木フィーバーによるもの。

 

甲子園では44回3分の1を無失点に抑えるなど伝説的な記録を残します。

その爽やかなルックスも相まって世の中は荒木大輔フィーバーとなりました。

 

ヤクルトに入団後もブームは終わらず、ファンが連日押し寄せる程の人気を維持。

 

しかしプロではヒジの靭帯損傷やヘルニアなどの怪我に悩まされ通算39勝。

 

引退後は解説者や評論家などを経由して現在ではNHKBSでのメジャーリーグでの解説を担当しています。

第6位:定岡 正二

出典:日刊スポーツ

 

1970年代に甲子園に出場し、原辰徳氏も在籍していた東海大相模との15回にわたる熱戦を勝ち抜き、準決勝で手首を負傷し涙の降板となりその悲劇性と甘いマスクで女子中高生から大きな人気を博しました。

 

プロでは巨人にドラフト1位指名を受け、順調に成長を見せますが1983年に腰痛を発症してからは調子が戻らず。

生涯成績は通算51勝で終えます。

 

その後は打撃投手などを務めますが、1986年からスポーツキャスターに転向し、更に「とんねるずの生でダラダラいかせて」という番組で大人気キャラとなりました。

 

音楽活動も行い芸能界で働きますが、その後は社会人野球チームの監督や解説など野球関連の仕事を続けています。

第5位:斎藤 佑樹

出典:Pinky

 

斉藤選手は2006年の夏の甲子園で大活躍し、「ハンカチ王子」と呼ばれフィーバーを巻き起こしました。

 

同時期にプレイしていた選手は現在でもプロ野球やメジャーの中心をになっている大選手が多く、当初は「ハンカチ世代」と呼ばれる事もありました。

 

特に決勝での田中将大投手との投げ合いでは、延長15回引き分け再試合からの勝利を納め、一躍全国お茶の間のヒーローとなります。

 

その際に斉藤選手が使っていたハンカチも飛ぶように売れ、大フィーバーを起こしました。

 

高校卒業後は早稲田へ進学し、そこでもスター選手となりプロへは日本ハムのドラフト1位で入団。

まさに黄金スターとしての王道を歩んでいました。

 

しかしプロに入ってからは怪我にも苦しまされ、2017年現在でプロ通算15勝しかできていません。

 

期待値からするとかなりガッカリ感はありますが、今でも斉藤選手の覚醒に期待している人は多く存在します。

第4位:王 貞治

出典:毎日新聞

 

今では世界のホームラン王として打者としての知名度が凄い王貞治氏ですが、高校時代は1年からエースとして甲子園で活躍していました。

 

1957年のセンバツでは準決勝まで3連続完封を見せるなど、関東に初めて選抜優勝旗をもたらした選手として甲子園では投手としての名前の方が売れていた王氏。

 

3年生の頃には打者としての才能が目覚め始め、当時まだ木製バットだった時代の高校野球で2試合連続ホームランを放つなど打者の才能の片りんを見せています。

 

高校卒業後はご存じのごとく巨人にドラフト1位で指名し、世界一の記録となるプロ通算「868本」のホームランを放ち伝説の選手となりました。

 

引退後は巨人の監督や当時弱小だったダイエー(現ソフトバンク)を強豪チームに育て上げるなどの活躍。

 

2006年のワールドベースボールクラシック初開催では日本代表の監督を務め、初代チャンピオンへ導き、監督としても世界の王となりました。

 

その後胃がんなどを患いますが、75歳を超える現在でもソフトバンクの取締役会長兼GMとして活躍して居ます。

 

人間性でも素晴らしい評価をされている人物で、まさに不世出の野球界のレジェンドの一人ですね。

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第3位:桑田 真澄

出典:naverまとめ

 

1980年代にPL学園黄金時代を作り上げ、清原和博選手と共に「KKコンビ」と呼ばれ甲子園をおおいに沸かせた桑田選手。

 

この二人が在籍した時代の野球部は高校在籍時に出れる全ての甲子園に出場し、通算5回の出場となりました。

 

甲子園での成績も優勝2回準優勝2回と圧倒的な成績を残します。

 

ドラフト1位で巨人に入団し、エースとして活躍。

晩年にはメジャーリーグに挑戦するという驚きの移籍もありました。

プロ通算173勝という成績を残します。

 

引退後は解説者や評論家として活躍し、大学の1年制コースに通いスポーツ科学を学ぶなどもしています。

ちなみに桑田選手の長男も巨人入りを果たしており、親子二代でプロ野球選手となっています。

第2位:松坂 大輔

出典:naverまとめ

 

「超高校級」と言われ、横浜高校を甲子園優勝に導いただけでなく、決勝戦でノーヒットノーランを達成し一躍スターとなった松坂選手。

 

「平成の怪物」とも呼ばれ、延長17回を250球投げ切り完封勝利を果たすなど規格外の怪物ぶりを見せていました。

 

プロ入り後も西武ライオンズのエースとして活躍し、ポスティングシステムを利用してメジャーリーグへ移籍。

「1億ドルの男」とも呼ばれる大型契約でアメリカでも注目の存在でした。

 

メジャーリーグ移籍後は移籍直後は活躍したものの、後期からは怪我の影響もあり低迷。

日本へ戻り現在はソフトバンクに在籍しています。

第1位:江川 卓

 

江川卓選手は中学を卒業してすぐに高校でエースとなり完全試合を達成するなど別格の実力を持っていました。

 

甲子園に出ていない時期からすでに「栃木に怪物江川あり」と言われる程知名度が高くなっていて、在籍していた作新学園には江川選手と対戦したいがために全国から練習試合の申し出があったといいます。

 

チームは打線があまり強くない時期で、江川選手には援護がなく甲子園初出場は3年の春となりました。

 

3年時の春甲子園大会は「江川の大会」と言われるほど圧倒的な実力を見せ、「怪物江川」を初めてテレビで見れる事となり日本中が熱狂しました。

 

甲子園も江川の登板日は連日超満員となり、それに応えるように江川選手も別格のピッチングを見せます。

 

  • 1回戦では23球目までボール自体にバットをかすらせもせずに三振の山。
  • 2回戦でもバントヒット一本のみの7回10奪三振。
  • 3回戦では7回2死まで完全試合ペースで進み途中8者連続三振を含んだ20奪三振で9回を完封。
  • 準決勝では四球で与えたランナーをポテンヒットで返して、なんと140イニングぶりの失点。チームの悪送球もあり2失点で敗戦となりました。

 

この春の大会だけで江川選手は60奪三振を奪っており、現在でもこの記録は破られていません。

 

その後の夏の甲子園では2回戦でチームの援護が全くないまま0対0で延長戦へ突入し、12回裏に満塁のピンチを招いた後四球を出して押し出しで敗戦。

 

 

この時のシーンは今でも甲子園名場面として流れる名シーンです。

 

更に江川投手が話題となったのはドラフト。

 

巨人以外に入る気が無かった江川投手はドラフトの空白の1日を使ってドラフト制度を使用せずに巨人と契約。

この強引な手法に巨人も江川選手も世間の大パッシングとなり、世間はこの話題で持ちきりとなりました。

 

結局ドラフトで強硬指名し交渉権を獲得した阪神とのトレードという形で決着となり、そのトレード要員とされた巨人の当時のエース小林繁選手は悲劇のエースとして語り継がれています。

 

このことから世間では「エガワる」(周囲をかえりみず強引に押し通す事)という言葉まで使われ、完全にヒールとなってしまいました。

 

結局プロ野球としての寿命は9年で尽きてしまい、高校時代の酷使もたたり短い野球人生となってしまいます。

 

プロ通算では135勝と9年間で考えればとんでもない成績なのですが、江川選手の圧倒的な実力を考えるともっと長く見て居たかったという気持ちもある選手ですね。

 

引退後は大手キー局の野球解説者となったり、ゲームを監修したり、「スポーツうるぐす」という大型番組のMCを務めたり、コメンテーターとなったりと芸能界で引っ張りだこに。

 

現在ではコメンテーターと解説をメインにして活躍しています。

 

今でも江川選手は「高校時代最強のピッチャー」として語り継がれ伝説となっています。

まとめ

毎年のようにドラマを生み出して高校野球ファンを感動させてくれる甲子園。

そこで大活躍をしたとしてもプロで必ず活躍出来るわけでは無く、逆にその知名度が災いしてプレッシャーに負けてしまう選手もいます。

 

しかしファン心理としては数年に一度しか現れないスターに心奪われるのを楽しみにしており、毎年期待して甲子園を見続けています。

 

今後も過去の怪物たちを超えるスター選手が現れることに期待したいですね!

 

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