「平成の怪物」と呼ばれた期待に応えるように、順調に成長して日本ハムの4番打者として堂々たる風格と実力を付けた中田翔選手。

 

そのイカつい風貌通りヤンチャな素行も指摘されますが、後輩からの人望も厚く頼れる兄貴分として日本ハムで一際大きい存在感を放っていますね!

 

その圧倒的なパワーと生まれもった天性のホームランアーティストとしての素質でアーチを描き続けています。

 

日本ハムの4番どころか日本の4番候補としても期待されていて、成績や性格までも清原2世とも言われる程。

 

そんな個性たっぷりの中田翔選手について今回は詳細を調べてみました!

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中田翔選手のプロフィールは?

出身地:広島県広島市中区
出身高校:大阪桐蔭高校
生年月日:1989年4月22日
身長:183cm
利き腕:右投
打席:右打
ポジション:一塁手、左翼手
年俸:2億8,000万円+出来高(2017年現在)

引用:wikipedia

中田選手は広島市の小学3年生時からリトルチームで捕手として野球を始めました。

小学6年生の時に投手に転向します。

 

中学ではシニアチームに所属し、中学連盟記録となる51本塁打の記録を樹立。

日本代表にも選ばれ、エースで4番を任され、4本塁打を放つなど日本の準優勝に大きく貢献。

 

すでにこの頃から怪物として名前が知られていました。

 

高校は名門大阪桐蔭の西谷浩一監督に誘われ、同校に進学を決めました。

 

1年夏からレギュラー争いが超激戦の大阪桐蔭高校で5番ファーストとしてレギュラーを掴み、1年生ながら夏の甲子園ベスト4に貢献します。

 

投手としても1年生の時点ですでに球速147キロをマークしていて、2年になってすぐに球速151キロも記録。

 

その後肩の故障で投手は断念することになりますが、その後は大阪桐蔭で不動の4番として君臨し続けました。

 

推定170メートルと言われる超高校級のホームランを放つなど高校通算でのホームラン数は当時の新記録となる87本を記録。

 

「平成の怪物」として呼ばれるようになり、まさにドラフトの目玉となります。

 

佐藤由規、唐川侑己と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれる3人は2007年ドラフトの大注目選手となり、連日どこが指名するのか?とスポーツニュースでは話題沸騰となっていました。

 

2007年のドラフト会議では、北海道日本ハムファイターズ、阪神タイガース、オリックス・バファローズ、福岡ソフトバンクホークスから4球団競合となる1位指名を受けます。

 

高卒の野手としてこれだけの評価を受ける選手は近年いませんでしたよね…

 

抽選の結果北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得し、中田選手はプロへの道を歩むこととなりました。

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中田翔選手の成績や年俸は?

中田選手は契約金1億円、出来高5,000万円、年俸1,500万円という新人の契約上では最高額で日本ハムファイターズへの入団が決定しました。

2008年

初年度となる2008年は高校時代の投手と外野手ではなく、本人の希望もあり三塁手として育成される事となりました。

しかしオープン戦では積極的に起用されるも、金属バットから木のバットに変わったことにより対応に苦しんで二軍スタートとなります。

 

6月にも手首を骨折するなどして結局この年は二軍で1年を過ごす事となりました。

打率は.255でホームランは11本の成績を二軍で残します。

2009年

2年目の2009年は三塁手としては失格の烙印を押され、一塁手に専念することになりました。

 

5月に一軍に合流し、プロ初スタメンを指名打者として飾ると、プロ初安打も記録。

 

その後すぐに二軍に降格となりますが、二軍のイースタンリーグでは史上最多となる30本のホームランを放ち、打点も95を挙げホームラン王と打点王を獲得します。

 

9月には一軍へ復帰し、プロ初打点や日本シリーズで代打として出場するなどの経験を積みました。

このシーズンオフから外野手への転向が発表されます。

2010年

3年目となる2010年は主砲だったスレッジ選手とレギュラーの左翼手だった森本選手が故障で離脱した事もあり、自身初の開幕先発出場を果たします。

 

しかし4月に二軍に降格となってしまうと直後に左ひざ半月板を損傷する怪我をしてしまい手術となりました。

 

7月に1軍復帰を果たし、プロ入り初本塁打や2打席連続本塁打を放つなど大砲としての素質を開花させ始めますが、長くは続かず一軍での成績は打率.233 本塁打9 打点22という成績でした。

 

9本の本塁打は7月20日から8月20日までの1か月間に固め打ちしたものであり、この調子が1年続いたらどれだけの本数を出すのか…と震えましたね。

 

年俸は1,200万円から1,800万円へとアップとなりました。

2011年

2011年には開幕19打席ノーヒットと出遅れますが、その後はレギュラーとしての座を掴み、シーズン途中からは4番打者としても起用され始めます。

 

初のオールスター出場も果たし規定打席にも到達し、初めて1年通してレギュラーを守りきった年となりました。

 

成績は打率.237 18本塁打 91打点をマークします。

 

規定打席に到達した打者の中での打率はリーグワースト2位となってしまい、三振数も133個とリーグワースト2位の不名誉な記録も残してしまいますが、91打点は勝負強い証明でもあり、成長を伺わせる数字でもありますよね。

 

年俸はこの年もアップとなり1,800万円から4,500万円への倍増以上の増額。

2012年

この年から栗山英樹新監督が就任し、中田翔を中心とするチーム作りを名言していて4番として開幕からスタメンに名前を連ねるも、またしても開幕から24打席連続無安打と出遅れてしまいます。

 

しかし打率が1割台となってもシーズン前の名言通り、栗山監督は中田を使い続けて最終的にはペナントの全試合で4番を中田に任せそれに応えるように中田選手も調子を上げていきます。

 

結局この年は打率.239と打率は低調に終わりますが、リーグ2位の24本塁打、リーグ3位の77打点を挙げて勝ち越し打や逆転打もリーグ最多となりチームの勝利に大きく貢献する選手として評価されました。

 

守備面でも外野手としてリーグトップの19補殺を記録して攻守に渡り成長を見せます。

 

中田選手は元投手と言う事もあって凄い肩をしているんですよね…

このスピードガンでも145キロを計測していますし、それは外野からの返球も凄い球が返ってきますよね。

 

この年も年俸はアップ査定となり4,500万円から、8,500万円へと上がりました。

 

最早1億円プレイヤー誕生はほぼ確実視されていましたね。

2013年

2013年も開幕から4番として活躍を続けて、8月時点ではホームラン数はリーグトップを走っていましたが、死球により左手を骨折してしまいその後のシーズンには出場出来ず。

 

そのまま行けばホームラン王も考えられただけに非常に残念でしたね。

 

この年の成績は打率.305 28本塁打 73打点と課題だった打率にも改善どころか3割までアップという嬉しい誤算もあり素晴らしい成績となります。

 

途中で離脱したものの、この好成績からベストナインも受賞。

 

年俸はここで1億を突破して前年の8,500万円から1億5,000万円へとアップ。

あっというまに1億円プレイヤーの仲間入りを果たします。

2014年

2014年は大きな怪我もなくほぼ全試合フル出場を4番で果たします。

 

打率は前年より下降してしまい.269と低下するものの、本塁打は27 打点は100打点も記録し、自身初の打者タイトルとなる打点王を獲得します。

 

クライマックスシリーズでも3戦連続本塁打などを記録し、大活躍を見せます。

 

年俸は1億5,000万円から2億円へとアップ査定を受け、日本プロ野球選手の中でも異次元のゾーンへ突入していきました。

 

2015年

この年からシーズンを通して一塁手として起用されます。

 

序盤からハイペースで本塁打を量産していき、6月の時点で20本塁打に達していて、これはシーズン50本塁打もあるんじゃないか?と言われる程の勢いだったのですが、後半は失速。

 

最終戦で放ったホームランでキャリア初となるシーズン30本塁打を達成します。

 

2年連続100打点も記録し、打率.262 本塁打30 打点102と4番としては申し分の無い成績を残しました。

 

更に一塁手としての守備も評価され、初のゴールデングラブ賞も受賞しました。

 

年俸は2億円から2億4,500万円へとアップ。最早留まる所を知りません。

2016年

2016年は久々に苦戦のシーズンとなりますが、打点を稼ぐ場面では滅法強く3年連続となる打点王を獲得しました。

 

不振の時期に代打を出されたり、スタメンを少し外される場面もありましたが、打点を挙げ続けて大本命と言われていたソフトバンクを逆転したチームの優勝に大きな貢献を果たしました。

 

日本シリーズでも多くの打点を挙げ、自身初の日本一も経験し優秀選手賞に選ばれます。

 

年俸は2億4,500万円から2億8,000万へ。3億目前となる大スター選手となりました。

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中田翔選手の性格は?

 

普段はオラついているようで、怖そうなイメージもある選手で死球を受けた際に乱闘沙汰になったりもしたりする事もあります。

 

 

しかし後輩に「中田賞」という物を用意して、中田選手が出したノルマをクリアした後半には超高級品のバッグやネックレスをプレゼントしたりと後輩にとても優しい選手として有名です。

 

2011年に起きた起きた東日本大震災でも年俸はまだ1,200万円だったのに年俸の10分の1に近い100万円を寄付しており、見た目と違ってとてもプロ野球選手としては模範的な選手ですよね!

 

子供達にも滅茶苦茶優しい選手として有名で、サインや写真をニコニコ笑って受け入れてくれる心優しい選手です。

 

ヤンチャっぽいイメージや、風貌から誤解されがちな選手ですが、評判や噂を聞く限りでは間違いなく立派なプロ野球選手で、ファンを愛してファンにも愛される素晴らしい気立ての男としか見えませんね!

 

中田翔選手のお嫁さんは?

2012年に高校時代から交際していた同級生の方と結婚しています。

大阪桐蔭高校出身の同級生の女性だそうで、その女性は近畿地方の有名大学に通っていたそうです。

 

フカキョン似の美人で気立てのいい子として有名だったそうですね!

中田選手は北海道日本ハム所属なので遠距離恋愛だったんですね…

 

プロポーズのエピソードとして有名なのが、その女性が就職活動をし始めた時に中田選手に…

 

「絶対活躍するから就職活動は今すぐ止めてくれ」

と男らしいセリフでプロポーズをしたというものがあります。

 

恰好良いですね…こんなこと言える男になってみたいもんですw

 

中田選手には二人の娘さんが生まれていて、順風満帆な夫婦生活を過ごされているみたいですね!

中田翔選手の愛車は?

中田翔選手の愛車はあのフェラーリのランボルギーニです。

 

お値段は4000万円以上したと言われていて、まさに超一流の選手しか乗れない車ですね!

 

しかし、この車は色々あって売却する事になったみたいです。

その経緯は…

 

 

「乗りにくい」という理由でこの動画の中で5000万円以上の査定がついたので売ってしまったそうです 笑

更にその後サイン入りでヤフオクに出品されていて話題となりましたね!

 

 

 

 

しかしまさにスーパーカーって感じですよね…乗りにくそうなのは確かですがw

 

こんな凄い車をポンと買ってポンと売ってしまう中田選手もやはり大物ですよね!

まとめ

日本ハムファイターズの不動の4番として最早欠かせないスターとなった中田翔選手。

 

毎年30本近いホームランを量産し、大量の打点を稼ぎ、チームの大黒柱となっています。

 

個人的には毎年40本以上打てる潜在能力があると思っている選手なので、更に成長して日本の4番へと駆け上がってほしいですね!