愛称「ゴジラ」というニックネームに劣らない、怪物級の成績を残した松井秀喜選手。

 

引退後の今でもその怪物的な成績や、人柄の良さから愛されていますね!

 

巨人の4番として大活躍した松井選手…

 

メジャーリーグでも4番を打ったりワールドシリーズでも大活躍を見せた松井選手。

 

どんな性格なのか?どれだけ凄い成績を残したの?彼の家族は?

 

色々と気になりますよね!?

 

そんな世界規模の「ゴジラ」となった松井選手の情報について今回は調べてみました!

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松井秀喜選手のプロフィールは?

出身地:石川県能美郡根上町
出身高校:星陵高等学校
生年月日:1974年6月12日
身長:188センチメートル
利き腕:右投
打席:左打
ポジション:外野手
引用元:wikipedia

 

松井秀喜選手の生まれた時の体重は3960グラムだったそうです。

保育園でも史上最大の園児と呼ばれ、すでにこの時から怪物ぶりを見せています。

 

体格が大きく、すでに小学1年生から小学3年生以上からで構成される少年野球チームに特別扱いで入団するという逸話もあります。

 

しかし、体は大きくてもまだ子供だった松井選手は監督の指示が理解できず、ここで一回野球をやめてしまったそうです。

 

小学5年生の時に再び野球チームに戻り、本格的に野球を始めました。

 

元々右打ちだったそうですが、あまりにもボールを飛ばす松井選手を見て、他のチームメイトや兄に松井を打てなくするという目的のため

に、左打ちをさせられたというのが左打席への変更の理由みたいです!

 

すでにこの頃から周囲に嫉妬される程の桁違いぶりを見せていたんですね…

 

小学3年から始めていた柔道でも、桁違いの強さを見せ国体強化選手にも選ばれていました。

 

中学へ進学する時には、野球か柔道家を悩んで野球一本という選択をしました!

 

中学入学時の身長は170センチ、95キロ。小学校卒業したての体格じゃないですよね 笑

 

中学時代にはキャッチャーや、投手も務め、通算打率は6割越え…

 

打球の飛距離も130メートルを超え、軟球では松井選手のスイングには耐えきれずボールが割れることもあったそうです。

その割れたボール代だけでも10万円を超えるという逸話まで残っています。

 

高校は石川の名門星陵高校へ入学。

 

星陵高校の山下監督からの必死の勧誘を受けて進路を決めたそうです。

 

投手として入部しましたが、すぐに野手に転向。この時はファーストを守っていました。

 

その後サードに転向し、1年生にして「4番サード」としてレギュラーの座を掴み活躍を始めます。

 

「北陸の怪童」として全国的に名前が売れていきホームランの飛距離も140メートルを超える物まで出始めていたそうです。

 

甲子園には通算4回出場しており、特に高校3年生時に出場した夏の甲子園での「5打席連続敬遠」事件では世間を騒がす大きなニュースとなりましたね!

 

高校での通算打率は.450 ホームランは60本を記録。

 

ホームランの内容がとても高校生とは思えない飛距離を叩きだし、すでに高校生レベルとはかけ離れたパワーを持っていることが誰の目にも明らかでした。

 

ドラフトの目玉となった松井選手は、学校に多くの報道陣が訪れてドラフト前には「報道規制」が敷かれると程の注目を集めました。

 

本人はドラフト前に阪神タイガースへの憧れを希望していました。

 

その1992年のドラフトでは読売ジャイアンツ、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、福岡ダイエーホークスの4球団から1巡目指名を受け、読売ジャイアンツが抽選に勝利して交渉権を入手しました。

 

この時クジを引いたのは13シーズンぶりに巨人の監督に復帰した「ミスタージャイアンツ」と言われる長嶋茂雄監督だったのも、運命を感じますよね!

 

松井選手はその巨人に契約金1億2000万、年俸720万で契約し入団を決めました!

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松井秀喜選手の日本での成績や年俸は?

1993年に巨人に入団した松井選手は1年目のキャンプから150メートル級の場外ホームランを連発し、毎日のスポーツニュースを騒がせました。

 

「こんな高校生は見たことない」とコーチに言わしめる打撃を見せ、早くも怪物として期待されていました。

 

この時に高校時代ではサードを守っていましたが、1年目から試合経験を積ませるために、長嶋監督は外野手にコンバート(守備位置変更)させました。

 

大きな期待を集めた松井選手でしたが、入団初年度のオープン戦ではプロの壁に阻まれ大苦戦し、開幕は二軍で迎えることとなりました。

 

しかし、二軍の試合ではヒットホームランを量産して5月にはすぐに一軍に合流。

5月1日にプロ1軍デビューを果たし、初安打初打点などを記録し、翌日の試合ではプロ初のホームランも放ちました。

 

その後は他球団からの徹底マークにあい成績を落とし、二軍に落とされますが8月に再び一軍に昇格後はレギュラーとして使われ始め、セリーグの高卒新人記録となる11ホームランを記録し、1年目にして早くも大砲としての期待を更に大きくしました。

 

2年目の1994年には完全にジャイアンツのレギュラー外野手となり打撃も順調に成長しました。

打率は.294 ホームランは2年目にして20本 打点は66というものでした。

 

チームもその年日本一となり松井選手には2年目のジンクスなどありませんでした。

 

3年目には22ホームランを放ち初のベストナインの賞も受賞。

 

シーズン後半からは4番も任され始めました。

 

この年に徹底した内角攻めを浴びて、シーズンオフに苦手だった内角球を中心に打つことを練習し、これを克服。

 

これがゴジラとして本当のバッターとして目覚めるきっかけだったといいます。

 

そして4年目1996年…この年が「ゴジラ」としての完全な覚醒となりました。

 

22歳にして打率.314 ホームラン38本 打点99の成績を残し、巨人を「メークミラクル」を呼ばれる大逆転優勝への原動力となりセリーグMVPに選ばれます!

 

最終戦までホームラン王を争っていましたが、最後の試合ではライバルの選手が所属するチームとの対戦だった事もあり、全打席敬遠されてしまいタイトルを逃しました。

 

この年に年俸は1億6000万になり、イチロー選手と並ぶ高卒4年目での史上最短での1億円プレイヤーの仲間入りを果たしました!

 

22歳で1億円…羨ましいですね。。自分だったら浮かれてしまいます 笑

 

その後も毎年の様に3割前後とホームラン40本前後を打ち続け、巨人の主砲として活躍を続けました。

 

そしてFA権(一軍での一定期間を過ごすと与えられる移籍の権利)を取得した松井選手は2002年にそのFA権を行使してメジャーリーグへの移籍を発表しました。

 

巨人の必死の慰留もあり、松井選手も悩んでいましたがメジャーへの憧れが勝ったようでしたね。

 

その松井選手が巨人時代最終年の残した成績はとんでもない数字でした。

 

打率.334 ホームラン50本 打点107 と全てにおいてハイレベルな数字を残し、この年打率ホームラン打点全てでトップを獲得三冠王目前までいくも、終盤に少し失速し逃しました。

 

松井選手が日本で獲得したタイトルや賞一覧

首位打者 2001年  1回
正力賞  2000年  1回
打点王 1998年、2000年、2002年  3回
本塁打王 1998年、2000年、2001年 3回
最高出塁率 1998年、2000年、2002年 3回
ベストナイン 1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年 8回
ゴールデングラブ賞 2000年、2001年、2002年 3回
シーズンMVP 1996年、2000年、2002年 3回

 

最早数えきれませんね 笑

 

とんでもない数のタイトルや賞を獲得し、アメリカ行きを決めた松井選手。

 

その時には自分を育ててくれた日本球界への恩返しも出来ずに、メジャーへ行くことへ罪悪感が強くあったみたいでした。本人は移籍会見でこう語りました。

 

「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか松井、行ってよかったなと言われるよう頑張りたい。決断した以上は命を懸ける」

 

この気遣いというか思いやりのある性格が松井選手の偉大さを表現しているようですね!

 

当時はまだメジャーへの抵抗が結構あった時代でしたからね…

松井秀喜選手のメジャーリーグでの成績や年俸は?

2002年にFA宣言でメジャーリーグへの移籍を発表した松井選手は、12月にアメリカで一番の知名度と伝統を誇る、ニューヨークヤンキースと3年総額2100万ドル(当時の25億円強)で契約。

 

かくして松井選手は日本でNO1の球団からアメリカでもNO1の球団へと移籍する事になりました。

 

1年目の開幕戦から5番レフトのスタメンで出場した松井選手は、初打席、初安打、初打点を打ち、スタートダッシュを決めます。

 

4月8日にはメジャーでの初ホームランを放ち、4月12日には初サヨナラ安打を放つなどして活躍し、1年目からメジャーリーグでのオールスターに選ばれます!

 

しかし1年目の成績は打率.287 ホームラン数は16本となり、松井選手としてはかなりさびしい数字に終わります。

 

原因としては日本からメジャーへ行った打者が苦しむ「ストライクゾーンの違い」と打者の手前で微妙に変化して落ちる球「ムービング・ファストボール」というボールに苦しめられます。

 

メジャーでは日本より外角を広く取る傾向にあり、その感覚の違いでまず苦しみます。

 

そして日本では当時まだあまり使っている選手はいなかったムービングファストボールという特殊な変化球に苦しみ、ゴロの山を築いてしまいました。

 

初年度の松井選手のダブルプレーを打ってしまった数は25個。

 

場面によってバッティングを変えて併殺を避けるのが上手い松井選手にしてはかなり多い数字でした。

 

それにより現地では「ゴロキング」などのネガティブなニックネームも付けられてしまうなど、メジャーの厳しさを味あわされる年となりました。

 

ですが、勝負強いバッティングは健在で、チーム2位の106打点を稼ぎ、クラッチヒッター(チャンスに強い特徴を持つ打者)としての能力を発揮しました。

 

更に全試合出場も達成するなどスタメンとしての地位は不動の物でした。

 

このオフにホームラン不足の原因に日本ではトップクラスだったがアメリカではまだパワー不足と考え、肉体改造に取り込み大きな筋力を付けるトレーニングをしました。

 

これが効果を発揮し、2年目には前年16本だったホームランが31本に増加し、シーズン後半には4番に置かれる程の信頼を勝ち取り、「ヤンキース松井」という存在を地元のファンにも認められる事となりました!

 

3年目にも3年連続全試合出場を果たすなど、最早松井選手は常勝ヤンキースの一員としてそこにいるのが当たり前という雰囲気になっていました。

 

チームの信頼も厚くこの年のオフにはヤンキースと4年総額5200万ドル(当時のレートで62億円弱)で再契約するなど、年俸が10億を超えるスター選手となりました。

 

しかし、2006年の5月には試合中の守備で手首を骨折してしまい、この怪我からは色々な箇所での怪我に悩まされる事となります。

 

この怪我の瞬間は自分もテレビで見ていましたが、手首がぐにゃりと曲がっていてとても痛々しいものでした…

 

この年は怪我の影響で9月まで休むこととなりメジャー移籍以来最低の51試合出場となり、シーズンの半分以上を棒に振ってしましました。

 

2007年には怪我で欠場する時期もありましたが、見事に復活をとげました。

 

打率.285  ホームラン25本 打点103 という安定した成績を残しファンを喜ばせます。

 

この年のオフに右膝の軟骨の除去手術を受けています。

 

2008年にはプライベートでは結婚するなど順調なものの、監督の交代もあって例年通りの松井への信頼は無く、スタメンの確約はされませんでした。

 

そして6月には膝に故障を発生してしまい、膝にたまった水を抜くという治療を受けました。

 

これは前オフに手術した右膝の古傷をかばい、知らない内に左足に負担が掛かっていたのが原因だそうです…

 

7月にはチームから手術を勧められるも、本人は拒否。

 

やはり手術をしたら、そのシーズンにはもう戻れないというのが嫌だったんでしょうね…

 

その後8月に復帰するも本調子には程遠い出来で、バッティングも不調…

 

結局この年のオフにも今度は逆の左ひざの手術をする事となりました。

 

2009年になっても怪我は断続的に発生し、スタメンとしての出場が減っていき、ベンチを温める場面が増えていきました。

 

しかし、夏過ぎからは好調を維持して、あっという間に成績を上げていきます。

 

終わってみれば 打率.274 ホームラン28本 打点90という成績を残し、チームの地区優勝へ大きく貢献しました!

 

そして松井の伝説の1つワールドシリーズ(日本でいう日本シリーズ)での大活躍でヤンキースを9年ぶりの世界一へ導く大活躍を見せました!

 

そのワールドシリーズでの成績は13打数8安打3本塁打8打点と、ゴジラにふさわしい成績を残し、見事ワールドシリーズMVPに選ばれました!

 

中でもワールドシリーズタイ記録となる、「1試合6打点」は圧巻の記録でしたね!

 

やはり「ゴジラ」は怪我さえ無ければまだまだ通用する事を示します!

 

この年のオフにヤンキースとの契約が切れますが、再契約するのかと思いきやヤンキースからの残留交渉は無く、松井選手はFA(自由契約)選手となり他チームとの移籍交渉になります。

 

何でヤンキースは再契約しないの?という疑問も付きますが、この時点で松井選手は高齢となってきている上に怪我も多く、2009年に大活躍してしまったため年俸の相場が上がっており、ヤンキース側からは高額で契約するメリットが少ないという判断だったんでしょうね。

 

そしてその後は2010年にエンゼルス、2011年にはアスレチックス、2012年にレイズに所属しますが、怪我や高齢のためか松井選手は結果を残せませんでした。

 

そして2012年末にニューヨークにて緊急記者会見を開き2012年限りでの引退を発表しました。

 

引退を決断した理由には、「命がけでプレーし、メジャーで力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが結果が出なくなった」と述べていました。

 

当時テレビを見ていた時、ニュース速報で「松井選手引退」と流れて来て、自分は大きなショックを受けたのを覚えています…

 

日本に復帰してプレーしてほしいという声もありましたが、本人は「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかった」と述べていました。

 

衰えたゴジラを見せたくないというプライドですね。。英断だったと思います。

 

こうして松井選手はプロ野球選手としての20年間の長い旅を終え現役を退きました。

 

しかし歴史に名を残す成績を残す選手だっただけに、今後もコーチ、監督としての活躍が期待されますね!

甲子園での5打席連続敬遠事件

松井選手の高校時代のエピソードの代表格と言えば、松井選手の3年生最後の夏の甲子園での出来事です。

 

甲子園は怪物松井を見る為に超満員。ファンも松井に期待を寄せ高校生として最後の松井のバッティングを見る為に球場に足を運んでいる人が沢山居ました。

 

すでにこの時松井選手は「ゴジラ」というニックネームがつけられる程有名な選手になっており、そのホームランの飛距離や高校生離れしたバッティングでその年のドラフト1位は確定的と見られている選手となっていました。

 

しかし2回戦で当たった「明徳義塾高校」は松井とは1打席も勝負せず、「5打席全部敬遠」という作戦を取り、甲子園のスタンドから大ブーイングを浴びてしまいます。

 

 

5打席目の敬遠後には、ブーイングとゴミをグラウンドに投げつけるという事態に発展してしまっています…

 

そのまま松井選手の居る星陵高校は敗退。この「勝利至上主義」とも言える作戦に大きな波紋を呼び、後日日本中がそのニュースで溢れかえる事件となりました。

 

これは明徳義塾の監督が松井の1回戦を観戦し、その恐ろしいバッティングを見て更にその後の練習も偵察で松井を見た結果、松井とは勝負しない事を決めたそうです。

 

松井を見に来ていたファンを大きく失望させる事となりましたが、ルール上敬遠は作戦の1つの為、明徳義塾側の姿勢を理解する人も一定数存在していました。

 

自分もテレビで観戦していましたが、唖然としましたからね…

 

高校野球は名目上、清い精神や体を鍛えて練習してきたものをお互いぶつけあうという事を本質としている為これが批判を受けてしまうのは仕方ない事でもあります。

 

明徳義塾の選手はその指示を受けてプレイしただけであり、高校野球の選手は監督に逆らう事はとんでもない事とされています。

 

試合後監督は「正々堂々と戦って潔く散るというのもひとつの選択だったかもしれないが、県代表として、ひとつでも多く甲子園で勝たせたいと思った」と語っていました。

 

これは後々考えてみれば、どちらの気持ちも理解できるもので、勝ちたいという気持ちの上で取られた作戦でありここまで非難される事では無かったと自分は思っています。

 

松井選手も最後の夏で悔しい思いをしたでしょうが、四球で歩かす事自体にもリスクはあるものですし、後続のバッターがそれを返せなかったのも、松井選手のワンマンチームになりがちだった部分もあると思います。

 

ただ、3年間練習してきて最後の夏で全打席敬遠で終わってしまうというのは、とてもつらい事でもあったでしょうね…

 

この出来事に関しては、誰が悪いとかの問題では無く、正々堂々と勝負して負ければよかったのか?勝つためには仕方なかったのか?…と今でも議論されている事でもあります。

 

松井選手程桁外れに凄すぎると、こういう事件を生み出してしまうんですね…

 

松井秀喜選手の性格は?

松井選手は、マスコミやファンをとても大事にしており、取材に来る記者にごちそうをしたりちゃんと全員の名前を憶えていたりと、とても丁寧な対応をする選手だったそうです。

 

ある記者がその日に作る記事が特に無く、困っている姿を見て、その記者にその日の出来事を細かく丁寧に話してあげて、その日の記事のネタにしてね、と独占記事を提供してあげたなんてエピソードもあります。

 

人の悪口を言っているのを、見たことがないという話も他選手から出ていました。

 

しかし、選手同士の交流はあまり多くせず一匹狼を好んでいたと言います。

確かに松井選手が他選手とお出かけしたとか、遊んでいたなんてお話は現役時代に全く聞きませんでしたね・・・

 

アメリカに行く時も、悩みに悩んで、泣きながら会見をして日本に申し訳ない…とお詫びする様な性格ですし誠実さが滲み出ていますね!

 

彼が汚い事を言っているのも見たことがないですし、常に野球に大して真剣で、ファンを愛し、スポーツ選手として偉大な人だと感じていましたね!

松井秀喜選手の奥さんは?

2008年に一般女性の方と結構しています。

 

松井選手が一目ぼれしてアタックの末に結構まで結びつけたそうです!

 

松井選手は意外にも情熱的なところもあるんですね!

 

そこまでするんですから相当お綺麗な方なんでしょうね…

 

お二人には現在男の子のお子さんがおひとりいらっしゃるそうです。

 

そんな松井選手ですが、過去には女優の方とも噂になりました。

 

そのお相手は「戸田菜穂」さんで、アメリカに松井選手を応援に来ていたことからも付き合っていたのは事実みたいですが、残念ながら破局してしまったようですね;;

まとめ

現役を引退してしまった松井秀喜選手ですが、現役時代に残した数々の記録からもまさにゴジラの名にふさわしい活躍をしてくれました!

 

ヤンキースで臨時コーチや次期巨人監督の噂もある松井秀喜選手…

 

この先も指導者や野球関係での活躍が楽しみですね!