アメリカへ行ってもそのユニークさや、とんでもない明るさにより人気者となりどこへ行っても人々を元気付ける川崎選手。

 

イチロー選手の大ファンであり、追っかけでもある彼はアメリカまでイチロー選手を追いかけて行ってしまいました。

 

底抜けに明るい性格だけでなく、プレイでも一流選手として活躍を続ける通称「ムネリン」。

 

何故彼はこんなにも人気なのか…?

 

どうしてイチロー選手をここまで好きなのか…?

 

色々と気になりますよね!?

 

そこで今回は川崎宗則選手の詳しい情報を紹介します!

川崎宗則選手のプロフィールは?

出身地:鹿児島県姶良市
出身高校:鹿児島県立鹿児島工業高等学校
生年月日:1981年6月3日
身長:180センチメートル
利き腕:右投
打席:左打
ポジション:内野手
年俸:9,000万円+出来高(2017年現在)
引用元:wikipedia

 

鹿児島県に生まれ、兄の影響で小学生から野球を始めた川崎選手は、小学校から高校生まで一貫してショートを守っていたそうです。

 

少年時代や学生時代は普通色々なポジションをやらされる事が多いので、本当に一貫して同じ守備位置というのは中々珍しいものです。

 

高校は鹿児島県立鹿児島工業高等学校進学するも、甲子園出場経験は一度も無く、全国的には無名な選手でした。

 

しかし、50メートル5秒8の俊足に、それを活かした左打ちでのヒット数の多さから鹿児島では有名な選手であり「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれていたそうです。

 

1999年のドラフト会議で福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)から4巡目指名を受け入団しました。

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川崎選手のプロ野球での成績は?

プロ入り初期は二軍でのスタメンとして体を鍛えながら、少しずつ力をつけていく日々を過ごしました。

 

3年目からそれまでレギュラーだった鳥越裕介選手の故障により、1軍で開幕スタメンを勝ち取り、その後鳥越選手が復帰してからは、小久保選手の怪我での離脱の穴埋め等、色々なポジションをこなしました。

 

4年目にはショートのレギュラーを完全に勝ち取り、全試合フルイニング出場と打率3割に、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得とまさにブレイクの年となりました!

 

その後も怪我に悩まされながら、ホークスの不動のショートのレギュラーとして長くチームに貢献を続けた川崎選手…

 

そんな彼は2012年に海外FA権(9シーズンでの出場選手登録日数を満たすと取得)を行使して、イチロー選手の居るメジャーリーグ、シアトルマリナーズへ移籍しました。

 

なんとこの際には日本の他球団から、数億円も良い条件でオファーが来ていたそうですが、それを全て断りイチロー選手の居るマリナーズへ決めたそうです。

 

イチロー愛ここに極まれり…ですね!

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メジャーリーグでの川崎選手の成績は?

2012年にシアトルマリナーズと正式にマイナー契約(ベンチ入りを保証しない契約)を結んだ川崎選手は、憧れのイチロー選手との試合同時出場を果たしました。

 

4月にはメジャーデビューを果たし、初安打初打点を放つ等活躍。

しかしやはりメジャーの壁は厚く、基本的には守備固めや、怪我した選手の穴埋めというポジションで主に出場となりました。

 

そしてイチロー選手を追いかけてきたのは良かったものの、イチロー選手はすぐにニューヨークヤンキースへ移籍してしまいました。

 

でも川崎選手は落ち込まずに前向きにプレイを続けました。

 

そしてその明るい性格や誰とでも仲良くなれるその天性の才能から、ユニークな選手として有名になり、メジャーリーグでも人気選手となりました。

 

その後はトロントブルージェイズへ移籍し、変わらずにユーティリティプレイヤーとして便利屋のような起用が続きます。

 

要所要所では良い活躍を見せるも、ブルージェイズでもレギュラーの壁は厚くトリプルエー(日本で言う二軍的な物)とメジャーを行ったり来たりの生活となりました。

 

そして2016年にはシカゴカブスとマイナー契約するも、大きな活躍は出来ず、2017年の春に自由契約(解雇に近いもの)となりました。

 

その後古巣のソフトバンクホークスがすぐに、川崎選手の獲得に動き2017年3月に古巣復帰が発表されました!

 

メジャーでの川崎選手は、大きな活躍は無かったものの、その人柄、性格、コミュニケーションの大事さを日本人、アメリカ人に教えてくれ、偉大な足跡を残してくれました。

川崎選手のイチローマニアぶり

 

川崎選手は大のイチローファンというか最早信者として知られており、そのイチローを追いかけてメジャーリーグの同チームまで行ったほどの筋金入りです。

 

本人をして「自分はイチローマニア」と言わしめる程…

 

背番号にもイチローの背番号(51)の次の背番号の52に強いこだわりを持っていて、何度も背番号変更をチームから打診されても断っていたというエピソードまであります。

 

追いかけて行ったマリナーズで、すぐにイチロー選手がニューヨークヤンキースへの移籍を発表してしまった時には「ショックではあるがイチローさんが元気にプレーしているのが嬉しい。」と深い愛情を感じるコメントを残します。

 

イチロー選手が4000安打を達成した試合には、川崎選手も敵として出場しており、その記念ボールが客席から返球された際には

「ボールを盗もうと思いました。でも審判に駄目だと言わました」。

 

そんなとんでもない考えまでしてしまっています 笑

 

ここまでの深い愛が目覚めるにはこんなきっかけがあったそうな…

「まさに、光だった」
ムネリンはイチローと初めての”出会い”をそう表現する。出会ったのは中学時代、友達から「イチローって選手がいるんだよ」と教えられたムネリンは、その後初めてイチローのプレーをテレビで見ることとなる。
そして、衝撃を受ける。なんでこんな細いのにこんなプレーができるのか。
この瞬間からムネリンはイチローにのめり込むようになる。初めて自分の小遣いで買った本は「イチローのすべて」だし、ポスターやカレンダーは全部買った。そして、それまでは右打席で打っていたのにイチローを真似て左打ちに転向した。
さらにムネリンの地元である鹿児島に当時オリックス所属のイチローが来た試合はもちろん見に行った。しかもその試合でイチローがホームランを打ったのだから想いは募る一方だ。
これほどまでムネリンが語るのには理由がある。実は中学時代、スラムダンクの影響などで野球から心が離れかけていたらしい。そんな中、イチローと出会い野球への意欲を取り戻した。本書内では、もし中学時代にイチローと出会っていなかったら野球を辞めていたかもと語っている。イチローがいなければ、プロ野球選手川崎宗則も大リーガー川崎宗則も誕生していなかったに違いない。

引用:「逆境を笑え」(著:川崎宗則/文藝春秋)

 

やっぱり少年時代に受けた、スターからの影響って凄いですよね!

 

川崎選手は今でも毎朝起きるとまずは、イチロー選手のDVDを見るそうです…

川崎選手の性格は?

メジャーに数年在籍するも、英語はほとんど話せない川崎選手。

 

しかし、彼のボディランゲージや性格により現地では「彼には語学の壁は無い」と言わしめる程の、コミュニケーション能力を持っています。

 

サービス精神があり、どこのチームへ行ってもファンから愛されていました。

 

彼のチームメイトもこう語っています。

ホセ・バティスタは「いきなり日本語で話しかけてきた時には驚いたけど、今はもう慣れたよ(笑)。ムネ(川崎)は英語やスペイン語がうまくしゃべれなくてもボディランゲージを交え、一生懸命に話すから何を伝えようとしているかが大体分かる。とてもユニークで、みんなを笑わせるムードメーカーでもあるし、最高のチームメートさ。メジャーリーガーの中にはヘンなプライドが邪魔をして周りに溶け込もうとしないヤツがいるけれど、彼はそうじゃない。ああいう姿勢はわれわれも見習う必要性がある」と話した。
引用:wikipedia

 

本当に凄い人ですよね!

 

自分だったら言葉が通じない所に放り出されたら絶対何も出来ません…

 

とにかく明るくユニークな川崎選手。

 

そんな彼は自分で自分を実はかなりネガティブとも語っていたりします。

 

しかし、それを他人に感じさせずポジティブに振る舞える姿勢は全ての人に尊敬される素晴らしい部分ですよね!

川崎選手のお嫁さんは?

川崎選手のお嫁さんは「原田麻衣」さんという方で2011年に結婚したそうです。

 

元グラビアアイドルで滅茶苦茶美人だとか…

CMにも出ていた事があるそうですが、詳細は不明です。

 

ひょうきんでチャラチャラしてない川崎選手ですが、普通にイケメンですからね!

 

凄い美人のお嫁さんが居ても全く不思議ではありませんね!

 

二人には長男が一人おり「逸将(いっしょう)」君という名前だそうです。

まとめ

皆に愛される性格で、ムードメーカーとして常にチームを引っ張っていく川崎選手。

 

日本に復帰し、また日本のファンにその姿を見せてくれる事は嬉しい限りですね!

 

まだまだ現役選手として活躍を続ける川崎宗則選手にこれからも期待です!