日本が野球で世界に誇るスーパースターと言えばやはり「イチロー」選手ですよね!

 

その圧倒的なバッティング、忍者のような走塁、エリア51と言われる鉄壁の守備…

彼に憧れて野球を始めた人も多いのではないでしょうか?

 

日本での圧倒的な成績…野手は通用しないと言われていた時代へのメジャーリーグ挑戦…

 

予想を覆すアメリカでの大活躍…。WBCでの決勝打…。メジャーでのシーズン262安打…。

 

イチロー選手の歴史を振り返ると、正直キリがありませんよね!

 

そんな彼の伝説とは?圧倒的な成績とは?お嫁さんは?

 

色々と気になりますよね!

 

今回はそんなイチロー選手の情報を紹介します!

イチロー(鈴木一郎)選手のプロフィール!

出身地:愛知県西春日井豊山町
出身高校:愛知工業大学名電高等学校
生年月日:1973年10月22日
身長:180センチメートル
利き腕:右投
打席:左打
ポジション:外野手
年俸:$2,000,000(2017年現在)
引用元:wikipedia

 

小学校時代は少年野球チームでエースで4番として活躍し、6年生時には全国大会にも出場しています。

 

小学3年の頃から近くの公園で父親と野球の練習を続けていましたが、物足りなくなり町内の「空港バッティングセンター」に通い詰めていたそうです。

 

3年生の時からすでに時速100キロのマシーンで打ち込んでたらしいです…

 

子供の頃からもう半端じゃないですね。。

 

しかもそれだけでは満足出来なくなり、イチロー専用のマシン調整を作ってもらい、センターに行く前に連絡をしてから用意して貰っていたとか…

 

中学では野球部に所属し、ここではエースとクリーンナップを打ち、中学3年時代には全日本少年軟式野球大会で3位の成績を残しました。

学業でも優秀で、常にトップ10に入るというインテリっぷりも見せていました。

 

多くの高校から誘いが来たそうですが、野球の名門愛工大名電高校へ進学しました。

 

高校時代から地元では有名な選手で、愛知トップと言っても過言ではない野球名門の愛工大名電高校で1年生時からレギュラーを獲得。

 

2年生の時には夏の甲子園、3年生時には春の甲子園に出場し、投手としても打者としても出場しました。

 

しかし甲子園ではいずれも初戦敗退に終わっています。

 

この時から松井秀喜選手とも練習試合を通じて面識があったみたいです!

 

高校3年の地方大会での打率はなんと7割越えをしています。

 

3割打てば凄いと言われる世界で7割打ってしまうイチロー選手…

 

すでに高校時代から飛び抜けた打撃技術を持っているのが解りますね。

 

そんなイチロー選手は元々は投手だったのですが、通学中の自転車での交通事故による怪我が原因で野手に変更を余儀なくされたという辛いエピソードもあります。

 

しかし野手としての高校時代の通算成績は536打数269安打、打率.501 ホームラン19本、盗塁131個と、数字だけ見ればゲームの世界のような成績を残しています。。

 

打率5割とかどうやって抑えればいいんですかね・・・^^;

 

全国での活躍は出来なかった為、知名度はまだ高くはなく、1991年にオリックス・ブルーウェーブ(現オリックスバファローズ)に4巡目で指名され入団しました。

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イチロー選手の成績や年俸は?

1年目の1992年から1軍でのデビューを果たしますが、この年は基本的に二軍での活躍となりました。

 

二軍で首位打者となる打率.366を残しますが、1軍のコーチ等にイチロー選手の打法(振り子打法と言われるイチロー選手独自のフォーム)を批判されます。

 

「足が速いんだからそれを活かしてゴロを打つように」

 

と打撃方針やフォームの変更を要求されますが、イチロー選手はそれを拒否。

その事もあり一軍打撃コーチなどと確執を生んでしまい一軍に定着する事は出来ませんでした。

 

イチロー選手の打法は振り子打法と言われており、大きく足を振り子のように振って打つ独特のフォームでした。

 

打撃理論に詳しい方から見ると、このフォームにはメリットが少なく、デメリットが多い物と言う意見が多くあります。

 

この打法でまさか数字が残せる選手が居るとは普通のコーチならば、見抜けなくて当然なのかもしれません…

 

天才であるが故の、常人には理解出来ない領域の話だったんでしょうね。。

 

2年目には開幕スタメンを果たしますが、その後は控えにまわってしまい、打率不振の為に6月には二軍降格となってしまいました。

 

しかしこの年の二軍でも打率.371というハイスコアを残しますが、一軍にも多く帯同していた為、二年連続での二軍での首位打者獲得はなりませんでした。

 

この年の秋に2軍打撃コーチの河村健一郎氏とイチローの代名詞となる「振り子打法」を完全に磨き上げ、イチロー選手の下地が出来上がります。

 

そして1994年。この年からイチロー選手の伝説が幕を開けました。

 

登録名を本名の「鈴木一郎」では地味だと監督やコーチのススメで「イチロー」に変更。

日本人としては初めて名字を抜いた名前での登録名選手となりました!

 

この年からオリックスには名将と呼ばれる故仰木彬監督が就任し、イチローの飛び抜けた打撃センスを見抜き、すぐに1軍に呼び2番打者として抜擢します。

 

それまで批判されていた「振り子打法」もこの年から打撃コーチに就任した新井宏昌氏には理解してもらい、レギュラーとして活躍する事となりました。

 

やはり天才を埋もれさせない為には、個性を活かす監督やコーチが必要なんですね。

 

この年の5月からは「1番打者イチロー」という定番を作り上げ、イチロー選手も期待に応え、5月から8月にかけて日本プロ野球新記録となる69試合連続出塁という記録も作ります。

 

9月には日本プロ野球タイ記録となる1試合4本の二塁打を記録するなど1950年に記録されたシーズン最多安打記録の191本を越すヒット数を残し、同月22日には日本プロ野球史上初となるシーズン200本安打という偉業を成し遂げます。

 

最終的に安打数は「210本」となり、この記録がイチロー選手により様々なメディアや野球関係者に取り上げられた為、この年から「最多安打」というタイトルが設立されました。

まさにイチロー選手のお陰で出来たようなタイトルですね…。

 

この年はパリーグ新記録となる打率.385の成績を残して首位打者を獲得。

 

他にも最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞という、タイトルや賞を獲得し、プロ野球史上最年少となる20歳でシーズンMVPにも選ばれました。

 

ベストナイン、ゴールデングラブ賞というのは、ポジション毎に優れた選手が投票や選出等で選ばれる賞ですが正力松太郎賞というのは、プロ野球の発展に大きく貢献した人物に与えられる賞であり、その年一番インパクトを残した選手に贈られる賞です。

 

まさにこの年はイチローブレイクの元年となり、子供たちがバッティングをする時にはイチロー選手の真似をして「振り子打法」をこぞってするという光景がよく見られました。

 

かくいう自分も野球部にて真似していたら監督に怒られました 笑

イチローには出来てもお前には無理だぞ・・・と;;

 

やはり攻・走・守全てが揃った選手には誰もが憧れますよね!

 

そして野球とは違う意味で印象的になった1995年。

 

オリックスの本拠地である神戸が阪神淡路大震災により、壊滅的な被害を受け、イチロー選手自体もチームの寮で被災するという出来事が起きました。

 

悲しみに暮れる神戸に希望を与える為に、この年は「がんばろうKOBE」という合言葉にスタートし、ユニフォームの袖にはそのロゴが入っていました。

 

イチロー選手はこの震災からの復興のシンボルとされ、この年に多くの人に勇気を与える大活躍をし、オリックスを感動の優勝へと導きました。

 

この年のイチロー選手は打率.342、ホームラン25本、打点80、出塁率.432、安打数179、盗塁49個という全ての打撃数値に置いて超ハイレベルな数値を残します。

 

その年に獲得したタイトルはなんと「首位打者」、「打点王、「盗塁王」、「最多安打」、「最高出塁率」の打者タイトルを5個獲得する打撃5冠王に輝きます。

 

例年はホームラン王争いに参加する選手では無いイチロー選手ですが、この年はホームランも量産し、25本とホームラン王である小久保選手の28ホーマーに迫る勢いまでありました。

 

前人未到の打撃の全てのタイトル6冠を独占してしまうのでは無いか?とまで言われていました。

 

そしてこの年も、シーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞を前年に続き獲得しました。

 

この年は神戸を本拠地とするオリックスの11年ぶりの優勝とイチロー選手の神がかった活躍により大いに盛り上がり、被災地に沢山の喜びを届けました。

 

そして1996年には年俸は1億6000万になり、1億円プレイヤーとなりました。

 

その後もイチロー選手は常に首位打者を獲得するバッターとしてパリーグで活躍を続け、他の選手には「イチローが居る限りパリーグの首位打者は獲れない」と言わしめる程のヒットメーカーとして存在し続けます。

 

1998年には張本勲選手の4年連続首位打者の記録を抜き、日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者を獲得しました。

 

2000年にはポスティングシステム(入札制度によるメジャーリーグ移籍の為のシステム)により、メジャーリーグへ移籍を発表します。

 

結局レギュラーとしてのデビュー年である1994年から2000年までのイチロー選手が、日本プロ野球に在籍し続けた7年期間全ての年で首位打者を獲得し、今も前人未到の記録として残っています。

 

7年連続という所がイチロー選手の凄さでもあって、怪我をして長期間休んでしまうと規定打席に足りなくなってしまうので、まず試合に7年間で続けるというのも大事なんですよね。

 

「あれだけの盗塁数や走塁守備でも凄いスピードで走り回るのにほとんど大きな怪我をしない」

この事もイチロー選手の強みであると言えますよね。

 

日本でのイチロー選手の最終年の年俸は5億3000万になっており、当時の選手では飛び抜けた年俸になっていました。

それでもイチローに5億なら安い…と感じてしまいますよね!

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イチロー選手のメジャーリーグでの成績

2000年、ポスティングシステムにより、メジャー移籍を発表したイチロー選手にシアトル・マリナーズが1300万ドルで入札し、3年総額1400万ドルで契約しました。

 

これによりイチロー選手は野手としては日本人初となるメジャーリーガーとなりました!

 

投手ではすでに野茂選手などが先に活躍しており、日本人選手の質は良いと評価されていました。

 

ですが、野手ではパワー不足や、メジャーの投手の球速の速さやツーシームと呼ばれる動くストレートに対応出来ないと言われていて、日本人の野手は通用しないのではないか?というのが日本人の多くの意見でした。

 

当時のマリナーズ監督のピネラ氏も「打率は2割8分から3割、盗塁は25から30は稼いでくれるだろう」と日本でのイチロー選手の成績を考えると厳しい評価をしていました。

 

そして日本時代と同じ背番号51を貰ったイチロー選手にも、同じマリナーズでの背番号51の代名詞に1998年まで在籍していた、メジャーを代表する投手の「ランディ・ジョンソン」氏が付けていた番号の為に「ランディを侮辱している」等の批判も起きました。

 

更に、ジャーナリストや現地のファンからも無理だろうというネガティブな意見が多数派を占めていました。

 

そんな逆風の中2001年の4月開幕戦でイチロー選手は1番、ライトのスタメンでデビューを果たします。

デビュー試合でいきなり2本のヒットを放ち、まずは好スタートを切り日本のファンを安心させてくれました。

 

同月の11日にはタッチアップで三塁を狙った選手を「レーザービーム」と呼ばれる物凄い送球で刺して、大きな話題を呼びました。

 

結局イチロー選手は周囲の心配をよそに、4月5月には順調にヒットを積み重ね、月間新人MVPを受賞する活躍を見せます。

 

オールスターでは337万票を獲得し、両リーグ1位となる得票数で選出されます。

そのオールスターでは背番号51での因縁のランディジョンソンと対決し、ヒットを放ち更に、盗塁も決める等イチロー選手らしい活躍を見せます。

 

7月には不調で21打席連続無安打等、少し調子を落としますが8月には復調し、8月28日にはシーズン200安打を達成。

 

9月には1996年にアレックスロドリゲス選手が記録した、球団最多安打記録の215安打を抜き去ります!

 

8月9月にも月間新人MVPを獲得するなど、チームの116勝というメジャーリーグでのタイ記録となる大きな勝ち星数にも貢献しました。

 

結局この年は1930年のビルテリー選手以来となる242安打を放ち(当時歴代9位)、メジャーリーグの新人最多安打記録を更新します。

 

そして新人王、MVP、首位打者、盗塁王、シルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞。という数多くの賞やタイトルを獲得し、周囲の批判を跳ね返すどころか黙らせてしまいます!

シルバースラッガー賞とは、その年各チームの監督・コーチの投票によって最も打撃が優れていた選手がポジションごとに選ばれる賞です。

 

新人王とMVPに同時に選ばれたのはイチロー選手と1975年のフレッド・リン選手のみであり、新人王と打撃タイトルの同人獲得はメジャーでも6人目の快挙でした!

 

こうして「日本人の野手は通用しない」という、周囲の批判を蹴散らしてしまったイチロー選手。

 

それどころか世界一の野球大国であるアメリカで、数々のタイトルまで獲得してしまいました。

本当に恰好いいですよね…。実力と結果を持って示すとはこの事ですね!

 

2年目からも毎年の様に首位打者争いや最多安打争いに絡む大活躍をし、守備面でもメジャートップクラスの指標を残し、誰もが認める「スター」としての地位を確固たるものとしました。

 

そして2004年には最早記録更新は不可能ではないか?と言われていたメジャーでのシーズン最多安打記録のジョージ・シスラーが持つ256安打を、6本上回る262安打という驚異の安打数を放ち、メジャーでも大きな話題となりました。

 

アメリカでも多くの新聞でその偉業を称える記事が掲載されるなど、アメリカと日本両方で盛り上がりを見せました。

 

この偉業を達成した年には2度目となる首位打者を獲得。

アメリカで二度目の打撃主要タイトルを獲得しました。

 

その後も3割と200本安打という成績をアメリカでも当たり前のように毎年残し続けるイチロー選手…

 

その記録はなんと2010年まで途切れることはなく、メジャーでも日本での7年間に続いて、10年連続となる3割の成績を残し続け、なんと通算で17連続の3割という数字を残します。

 

200本安打もメジャー移籍初年度から2010年まで10年連続で記録しています。

 

常識的に考えてもう言葉も出ないレベルの選手ですよね。。

 

2006年と2009年のWBCでは日本を世界一へ導く活躍を見せ、特に2009年WBC決勝の韓国戦でのイチロー選手の決勝打には日本中が湧き立ちました!

 

そんな神様のようなイチロー選手にも、スポーツ選手には必ずやってくる、高齢による衰えという宿命がやって来ます。

 

2011年のこの時イチロー選手は37歳。

同期でプロに入った選手はほとんどすでに引退しており、プロとしてはベテランの更に上の大ベテランという年齢になっていました。

 

2011年にはそれまで日本時代から続いていた3割の記録やメジャー初年から記録し続けていたシーズン200安打記録が途切れてしまいます。

成績は打率.272 184安打とイチロー選手としてはキャリアで一番低い成績に落ち込みました。

 

この時にはもうイチロー選手は終わったのではないか?目が悪くなった?ボール球に手を出すようになった…等々色々な説がささやかれました。

 

2012年にもイチロー選手は調子は戻らず、打率は.2割台中盤というイチロー選手としては不本意な成績が続きました。

 

そしてこの年の7月にはなんと衝撃のニューヨーク・ヤンキースへの移籍を発表。

 

前々から自分で移籍を志願していたそうです・・・。

 

その理由としては、「年齢が20代前半の選手が増えてきたマリナーズというチームに、来年以降は自分が居るべきではないのではないか?そして自分自身が環境を変えて刺激を求めたい」

 

という理由だったそうです。

 

やっぱり成績が低迷し始めてからイチロー選手も色々と悩んでいたのでしょうね。

 

イチロー選手を追ってマリナーズへ来た川崎選手も居ましたし、すぐに離れてしまう事に悩みに悩んだ決断だと思います。

 

ヤンキースへ移籍したイチロー選手。

 

そしてこれがメジャーの凄い所というかなんというか…まさかの移籍当日からヤンキースのスタメンとして起用され、相手は古巣マリナーズでマリナーズの本拠地球場、セーフコ・フィールドというカードでした。

 

イチロー選手が第1打席に入ると、ブーイングが起こるかと思いきやマリナーズファンから暖かい拍手の渦が巻き起こります。

感動でイチロー選手も涙ぐんでいる姿が見えました。

 

マリナーズへ長い間貢献したイチロー選手への敬意を現すファンも素晴らしいですし、選手冥利に尽きますよね!

 

環境を変えたのがよかったのか、イチロー選手はヤンキース移籍前には.261だった打率も移籍してからは好調な数字を残し、最終的には.283まで打率を上げ前年の成績を上回りました!

 

その後2014年までヤンキースに所属し、3割とはいかないまでも、第4の外野手として主力選手の休養時や代走等をメインに起用され、渋い活躍を続けます。

 

2015年にはマイアミ・マーリンズに移籍。

 

最早メジャーでも殿堂入りが確実視され、すでに「レジェンド」として扱われていたイチロー選手。

 

マーリンズでの開幕戦に代打で初出場の際にはファンがスタンディングオベーションでイチロー選手を迎えました。

野球をしている時は常にクールなイチロー選手ですが「僕だって心は動く」と語り、感動を表現しています。

 

しかし2015年はキャリア最低となる打率.229 91安打の成績に終わってしまいます。

 

この成績を受け、世間では引退してしまうのではないか…?と不安視されますが、マーリンズは「引き続き第4の外野手として期待している」と再契約を発表。

 

ファンを安心させました!

 

メジャー通算3000安打という大記録も目前に迫っており、それの達成が次年に期待されました。

 

そして42歳となる2016年。6月に「ピートローズ」氏が持つ世界通算最多安打記録の4256安打を抜き去り世界で一番ヒット数を放った選手となりました。

でもこの数字は日本プロ野球とメジャーでの数字を足したものであり、日本とアメリカの野球のレベル差を訴え、ピート氏はその記録は認めないという持論を展開していました。

 

しかしアメリカの風潮でもこれを世界記録とする記事も多く産出され、名実共にイチロー選手は世界一のヒットメーカーとして認められました。

 

更に8月にはアジア人として初のメジャー通算3000本安打を放ち、史上30人目のメジャーリーグ通算3000本安打の記録を達成します。

 

3000本とか4000本とかもう数字がゲームの世界みたいで、現実感がないですよね 笑

 

毎年積み重ねてきた数字がとんでもないものになっていましたね…

 

この年は記念尽くめの勢いもあって、イチロー選手も復調。

 

規定打席には足りないものの打率.292の成績を残し42歳にして前年より数値を良化させ、ファンを驚かせました。

 

なお、この年でイチロー選手が前所属していたオリックスの選手は全て引退してしまい、現役として残っているのはイチロー選手ただ一人となりました。

 

2017年にもマーリンズと契約を延長しており更なる活躍が期待されます!

イチロー選手の性格は?

 

オリックスでデビューしたばかりの頃は垢ぬけていなく、明るい青年というイメージだったのですが、マスコミの噂レベルでの事実無根の報道などにより、基本的には無表情でプレー中にも常にクールな選手へ変貌を遂げました。

 

これだけを見るとドライな性格に見えるかもしれませんが、WBC出場時に自らリーダーとして引っ張る姿勢をメディアに見せ、それまでのイメージが一変します。

 

練習中に大声を出してチームを鼓舞する姿…松坂選手や上原選手をからかったり、プレー中に叫んで悔しがったり…。そこには本来の野球小僧としてのイチロー選手の姿がありました。

 

これにはファンやチームメイトだった選手達にも驚かれ、それまでのクールで近づきがたいイチロー選手…という勝手に周囲が抱いていたイメージをぶち壊しました。

 

WBC優勝時での下ネタを交えたインタビューや、優勝祝賀会での他選手とのおおはしゃぎの模様を見ても元来明るい性格だという事が見て取れます。

 

若いころにはマスコミメディアとの対応に「メディアと選手は戦っています」。と慣れ合うような関係を良しとしない姿勢を貫いていましたが、加齢につれて、マスコミにも好意的になっていき、バラエティ番組や、ドラマで俳優で出演等をするなど露出する場面も増えました。

 

慈善活動等にも積極的で出身地や、自分の居たチーム、被災地等に大量の寄付をする選手として知られています。

 

2011年の東北地方太平洋沖地震の際には1億円の義捐金を寄付する等、スポーツ選手としての見本のような姿勢を見せています。

 

更にその事をマスコミに公表しないだけで、所属していたマリナーズの本拠地であるシアトルにも毎年尋常ではない額の寄付をしているとか…

わざわざ公表しない所が本当に恰好いいですよね!

 

また英語はすでに日常会話には支障がないレベルで話せるイチロー選手ですが、細かいイントネーション等を誤解されたくない為に、英語でのインタビューでは必ず通訳を付ける等細かい気遣いと慎重さを見せています。

 

まとめるとイチロー選手は野球選手としてのプレー中はクールで、プライベートでは陽気な人で、スター選手としてのカリスマ性と見本のような活動をしている方という事ですね!

 

そりゃぁファンになっちゃいますよね。。

イチロー選手のお嫁さんは?

イチロー選手のお嫁さんは元TBSアナウンサーの「福島弓子」さんです。

福島さんは島根県出身の方で、1990年代にバラエティやニュースを中心に活躍した有名なアナウンサーでした。

 

ラジオにてイチロー選手の番組のアシスタントを務めたのをきっかけが馴れ初めだそうです。

この番組以降はイチロー選手にTBSがインタビューを行う時は必ず福島さんを指名したとか…

 

1999年1月にイチロー選手が福島さんにプロポーズをした事で結婚が決まりました!

 

同年3月に福島さんはTBSを寿退社となり、専業主婦に専念しイチロー選手のサポートに回りました。

 

結婚後は表舞台に出る事が少なくなった弓子夫人ですが、イチロー選手の3000安打達成試合等のメモリアルデーには、スタンドで観戦する姿も見られました。

 

二人には子供は居なく、愛犬の「一弓」さんという二人の名前から一と弓の漢字を取った愛犬と暮らしています。

 

奥さんも未だに綺麗ですし、イチロー選手も恰好いいしで二人が並んでいる姿は凄いサマになるんですよね…。

 

憧れてしまう夫婦ですね!

イチロー選手の伝説とは?

数々の前人未到の成績や伝説的なプレイを見せるイチロー選手。

そんな伝説をまとめてみました!

 

・WBC決勝タイムリーで某掲示板のサーバーをダウンさせてしまった

・高校時代の三振数は僅か3つ

・2012年に行われたダブルヘッダー(1日2試合)で1日に7安打

・もう誰も越えられないと言われていたメジャー最多安打記録を更新

・日本人初の野手としてのメジャー挑戦で誰も越えられない記録を連発

・日本プロ野球では規定打席に到達したシーズンは全て首位打者

・打撃の話が多いが走塁でも100盗塁以上を記録した盗塁成功率では歴代NO1

・1997年に4月16日から6月24日まで連続打席無三振(216打席)を記録

・日本のオールスターでは投手としても登板

・ヒット数は日米通算では世界一

・スポーツニュースでは毎日イチロー選手だけ別枠で「今日のイチロー」コーナーがあった

・メジャーのオールスターで史上初のランニングホームラン

・高校での通算成績は536打席で269安打 打率は.501とゲームみたいな数字を残す

・ゴールデングラブ賞を1994年から2010年まで17年連続受賞(日米共通)

・1994年から2010年まで17年連続打率が3割越え

・メジャーで2001年から2010年まで10年連続200本安打を記録。(メジャーリーグ記録)

 

などなど数えきれない伝説の成績や逸話を残しております。

 

最早「生きる伝説」ですよねイチローは…

まとめ

40歳という年齢を超え未だ引退する気配もなく、活躍を続けるイチロー選手。

 

最早メジャーリーグでの殿堂入りも確定的で、周囲の選手からも圧倒的なリスペクトを受けながらプレーしています!

 

本人は「50歳まで現役でいたい」と語っていますし、イチロー選手なら不可能どころかやってしまう気がしてきますよね!

 

これからもイチローのプレーに大期待です!