松坂大輔選手と言えば、「平成の怪物」と呼ばれ1998年の夏の甲子園で松坂フィーバーを起こし日本中に大注目された選手です!

 

プロに入ってからも西武のエースとして活躍し続けて、メジャーリーグでも大輔の名から取られたニックネーム「DICE-K」という異名で活躍しました。

 

野球漫画の主人公の様な球歴を残した松坂選手。

 

日本のレジェンドと言っても差支えありませんよね!

 

その圧倒的な成績や年俸、有名人との結婚等…

 

色々と気になっちゃいますよね?

 

今回は松坂選手の詳しい情報を紹介します!

松坂大輔選手のプロフィールは?

出身地:東京都江東区
出身高校:横浜高等学校
生年月日:1980年9月13日
身長:183センチメートル
利き腕:右投
打席:右打
ポジション:投手
年俸:4億円+出来高(2017年現在)
引用元:wikipedia

 

青森で生まれ東京で育ち小学校3年までは剣道に打ち込んで居ました。

 

同じく小学3年時に少年野球を始め、中学ではリトルリーグに所属して野球を学んでいたそうです。中学時代のチームにはプロでも活躍している(小谷野栄一選手)がチームメイトに居たそうですよ!

 

高校は名門横浜高校に入学するも、元々の天才肌の気質なのか練習嫌いで有名な彼は「サボリのマツ」と呼ばれる程の練習嫌いだったそうな…

 

しかし、2年時の神奈川大会での悔しいサヨナラ負けをきっかけに心を入れ替えて練習の鬼になって大成長を遂げました。

 

1998年の選抜甲子園では圧倒的な投球を見せ優勝。後日プロになる後藤武敏選手や小池正晃選手と行ったハイレベルなチームメイトにも恵まれていました。

 

そして伝説となった1998年の夏の甲子園では、準々決勝にて当時超名門と言われていた「PL学園」に延長17回というとんでもない長丁場を250球の完投で投げ切り勝利。

 

決勝では何と59年ぶりとなる決勝戦での、ノーヒットノーラン(無安打無得点試合)というまさに怪物という記録を残し優勝。

日本中が松坂フィーバーとなりました。

 

ドラフトでは3球団から1位指名され、競合の末「埼玉西武ライオンズ」に入団が決まりました。

スポンサーリンク

松坂選手の日本での成績は?

デビュー1年目から開幕ローテーション入りし、1軍での開幕を迎えました。

 

プロで初登板となった1999年の4月7日に、デビュー初回にいきなり155キロを出して三振を取るなど、8回2失点の好投で勝利。

 

後日テレビのニュースでは松坂選手の155キロの映像が何十回も流れるという、まさに高校からの知名度を引き継いだ松坂フィーバーを継続させていました。

 

そしてその年に初対決となった、あの「イチロー」選手から3打席連続三振を奪い勝利。

 

ヒーローインタビューでは「プロでやれる自信から確信に変わりました」と語り、また一つ名言を残しました。

 

1年目では高卒新人では史上二人目の月間MVP…最多勝利のタイトル…ゴールデングラブ賞…そして新人王。

 

デビュー年から大活躍を見せ、まさに怪物の名に偽りなしと証明する鮮烈なデビューを果たしました。

 

2000年、2001年にもデビューから3年連続の最多勝のタイトルを獲得するなど、正に若くして西武のエースとして君臨した松坂選手。

 

2004年にはオリンピックの代表として大活躍し、日本チームを銅メダルへ導く原動力となるなど国際試合での強さも見せつけてくれました。

 

その後も西武のエースとして活躍し続け、2006年には、ポスティングシステム(メジャーへ移籍するための入札制度)を利用してメジャーリーグへ挑戦を表明しました。

 

その入札ではなんと、ボストン・レッドソックスから5100万ドル(当時のレートで役60億円)での入札がありました。

 

年俸も6年契約の5200万ドルとなり、まさに合わせて「100万ドルの男」として鳴り物入りでメジャー入りを果たしました。

スポンサーリンク

【松坂選手のメジャーリーグでの成績は?】

100万ドルの男として鳴り物入りで、ボストン・レッドソックスに入団した松坂選手。そのデビュー戦は日米から多くの注目を集めました。

 

自分も当時テレビにかじりついていた記憶があります。

 

そのデビュー戦は7回1失点10奪三振での圧巻の投球によりデビュー戦初勝利を挙げました!

 

本拠地初登板の先発では、今度は海を渡ってあの「イチロー」選手との再戦…

この対決は何度見てもしびれますね!

 

そして1年目から15勝200奪三振を挙げ、100万ドルの男として恥ずかしくない成績となりました。

 

しかし2年目は18勝という驚異の数字を挙げるも、制球にとても苦しみ球数が増えてしまったのです。

 

5回前後で降板する試合が多く、中継ぎ陣に負担を掛けてしまい数字程の評価は受けられませんでした。

 

この年松坂選手が降板時に残したランナーを、リリーフが返してしまったのはたった1度だけという奇跡的な数字も残っていました。

 

松坂選手が18勝も出来たのは、リリーフのおかげという風潮が強かった年でした。

 

メジャーリーグには厳格な「球数制限」があり、日本では150球等を平気で投げていた松坂選手でも「100球」を目途に降板させられてしまいます。

 

そして尻上がりに調子を上げていく松坂選手には辛いものでした。

 

しかし球数制限は、選手を怪我から守る物と言われているので大事な事でもあります。

 

投手の能力の重要な数字の1つに「投球回数」というモノがあり多いイニングを稼げない投手は評価されにくいのですよね…

 

自分が監督でも100試合以上を毎年こなしながら、大規模な移動まであるメジャーリーグで、毎回リリーフ陣をフル回転させられたら辛いと思うので仕方ない事だと思います。

 

そして2009年より肩を痛めた気配を出し始め、成績も落ち始めて、故障者リスト入りする等、タフだった松坂選手にも少し怪我との付き合いが始まってしまいます。

 

2010年に少し復調し、9勝を挙げるも、やはり背中や首、腕等の色々な部分を痛め始めて本調子では無い投球をしてしまいます。

 

2011年は開幕から数試合は好調な投球を続けるも、5月には肘を痛めて故障者リスト入り。

 

診断の結果、ダルビッシュ選手と同じ「トミー・ジョン手術」をする事となってしまいます。

 

2012年に手術リハビリから復帰し、カムバックの勝利を挙げました。

 

しかし、その後は打ち込まれ、とうとうボストン・レッドソックスからFA(メジャーでは契約解除と同じ意味)を受け、ボストンから去る事となりました。

 

2013,2014年にはインディアンス、メッツ等のチームとマイナー契約(ベンチ入りを保証しない厳しい契約)をしました。

 

そして中継ぎで登板するも故障の再発生等もあり、どちらのチームからもFAとなってしまいました。

 

フォームも若いころに比べるとかなり苦しそうな投げ方に変わっており、痛々しいものがありました…

 

メジャーへ移籍してからの松坂選手を見ると「怪物」と期待された成績からはかなり下回ってしまったかもしれません。

 

しかし、1年目には活躍して居た事から見ても、不調の原因はやはり「故障」であると思います。

 

高校、日本プロ野球での酷使も原因であり、やはりメジャーリーグでの球数制限等の投手への配慮も必要なのかもしれないと実感させられました。

 

2015年には日本に帰国し、ソフトバンクと3年12億円の契約を結びました!

 

しかし2017年現在ではまだ1軍での登板は1回しか無く、復活が渇望されています!

松坂選手の性格は?

高校時代の監督も言っていましたが、基本的には「謙虚な穏やかな性格」らしいです。

 

しかし若いころには少し問題を起こしたり、金髪にしたりとやはり怪物にも「若気の至り」はあったみたいですね。

 

ベテラン選手となってからは、後輩への思いやりを多々見せる場面もあります。

 

後輩としてメジャーリーグに渡る予定だった田中将大選手へ「メジャーリーグのボール1ダース」を贈ってあげたというエピソードもあります。

 

しかも新しいボールと、現地で実際に使われる土で、ボールをこねてから使うボールの2種類に分けて、匿名でプレゼントしたそうです。

 

後日関係者から聞いて、松坂選手からの贈り物だと表に出てしまうのですが、こういう所が恰好いいですよね!

松坂選手のお嫁さんは?

松坂選手のお嫁さんは元日本テレビアナウンサーとして当時人気だった「柴田倫世」さんです!

 

2004年に松坂選手と取材をきっかけに知り合い、交際に発展し結婚。
お子さんも3人居るそうです。(男1、女2)

 

松坂選手と渡米時にアメリカに渡り、現在もアメリカに在住しているとか…

 

ソフトバンクに復帰した松坂選手は、単身赴任となってしまっているようです。

 

子供さんが3人も居るから、そうそう生活拠点を変えるのは簡単な事じゃないですよね;

 

でも松坂選手は寂しいかもしれませんね;

まとめ

一つの松坂時代を作り、今も彼なら出来る、復活すると信じている人が沢山います。

 

自分も、その復活を信じている一人です。

 

例え復活が出来なくても、松坂選手が後世に語り継がれる伝説的な選手であるのは疑いようもありません。

 

彼のまだ続く現役、そして現役を終える時、更に引退後の彼の活躍…

これからも松坂大輔選手からは目が離せません!