出典:yahooニュース

 

甲子園で大スターとなり田中将大選手に決勝戦で再試合の末に投げ合って優勝を収めて「ハンカチ王子」として日本中にブームを巻き起こした斉藤佑樹選手。

 

甲子園決勝で見せたノビのあるストレート、プロ顔負けの素晴らしいコースを突くコントロール、決勝の舞台でも動じない度胸で全国を湧かせました。

 

大学へ進学してもスターとして人気は衰えず、早稲田大学の黄金時代を作り上げました。

 

「佑ちゃん」という愛称でも親しまれ、エリート街道を歩んで誰もがプロでもスターとしての道を歩むと思っていた斉藤選手。

 

しかしドラフト1位でプロ野球の日本ハムに入団後は怪我に苦しまされ低迷。

プロ7年目の現在で通算成績は14勝止まり…

14勝でもプロの1軍で二桁以上勝利を挙げているだけでも充分に凄いのですが、斉藤選手の期待度から考えると少し寂しい現状となっていますね;

 

誰もが未だに覚醒を期待している斉藤選手。

 

今回はそんな斉藤佑樹選手のプロフィール詳細について紹介します!

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斉藤佑樹選手のプロフィールは?

出身地:群馬県太田市
出身高校:早稲田実業学校高等部
生年月日:1988年6月6日
身長:176㎝
利き腕:右投
打席:右打
ポジション:投手
年俸:2,000万円(2017年現在)

引用:wikipedia

斉藤選手は東京というイメージがありますが、意外にも出身は群馬県。

小学校1年生時に地元の学童野球チーム「生品チャンピオンズ」で野球を始めます。

中学校では軟式野球部に所属し、群馬県大会で準優勝や、関東大会ベスト8の成績を残していて、地元新聞で取り上げられる程の選手でした。

 

2004年には「野球も勉強もトップレベルの高校で文武両道を目指す」という理由で早稲田実業高等部へ進学します。

群馬を離れて東京で兄と暮らしながら野球と勉強両方に打ち込む日々を過ごしました。

早稲田実業時代

 

野球部では1年からベンチ入りし、2年からエースナンバーである背番号1を付け、夏の大会に臨みますが日大三高との準決勝でコールド負けの大敗を喫します。

秋大会では前回コールド負けをした日大三高に完封勝利を収め、見事チームを優勝に導いています。

 

2005年の11月には後に甲子園決勝で投げ合う、駒大苫小牧高校の田中将大選手との対戦もここで実現しています。

 

3年時の2006年には春の選抜で甲子園初出場。

2回戦で関西高校を相手に引き分け再試合の末に勝利を収めますが、名門横浜高校に敗退。

 

夏の甲子園予選大会では3度目となる日大三高と決勝で激突し、延長戦の末にサヨナラ勝ちというドラマチックな勝ち方で甲子園出場を決めます。

 

そしてこの夏の甲子園大会で斉藤佑樹の名前は全国レベルどころか、野球を知らない一般人まで巻き込んだ「ハンカチ王子フィーバー」を巻き起こします。

 

これは斉藤選手がマウンドで汗をぬぐう時に「青いハンカチ」を常用していた事と端正な顔立ちから付けられたニックネームです。

 

当時はこのハンカチを求める人が殺到し、定価400円の同じハンカチがネットオークションで1万円で取引されていたり、ハンカチメーカーの株が値上がりするなど社会的現象ともなっています。

 

2回戦で大阪の名門大阪桐蔭高校を相手に後に日本ハムの主砲となる中田翔選手を4打数無安打3三振に抑え込み勝利。

 

その後も安定したピッチングを続け、その甘いマスクも相まって斉藤選手は女性ファンからも騒がれ、この年の甲子園の中心選手として取り上げられていきます。

 

斉藤選手の活躍で26年振りに早稲田実業は決勝へコマを進め、夏甲子園2連覇中の田中将大選手擁する駒大苫小牧高校と対決。

 

斉藤選手と田中選手のエース同士の投げ合いとなり、なんと15回を終わっても1-1のまま決着が付かずに夏では37年振りの決勝引き分け再試合となります。

 

翌日の再試合でも斉藤選手は志願登板し、最後には田中選手を打ち取って早実の夏の甲子園大会初優勝を決め、一躍ヒーローとして全国で報道されました。

 

 

この試合の視聴率は1990年以来の高視聴率となる29・1%を記録しています。

 

田中将大選手もこの時代からNO1投手と言われていて、後にメジャーリーグでエースとまでなる選手だった事からこの時の斉藤選手がいかに凄かったかが良く解りますよね

 

甲子園終了後には大学進学を発表し、プロ関係者はかなり落胆してる様子も見られました。

久々に現れた甲子園のスターにはどの球団でも欲しいですもんね…

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早稲田大学時代

出典:yahoo

 

大学1年生時代

斉藤選手は2007年に早稲田大学へ入学し、4月から始まった春季リーグ戦でいきなり開幕投手を務めます。

1年生での開幕勝利は80年振りの快挙。

 

6月3日には優勝をかけた試合の早慶戦で先発し、見事勝利を収めていきなりリーグでの優勝投手となりました。

チームの10勝中6勝で斉藤選手が貢献を果たしており、大きな原動力となっています。

 

更に1年生としては史上初となるベストナインにも選出されて、1年生時の入部直後からスターとしての器を持っていて、ニュースでも大学での斉藤選手の姿が毎日の様に報道されていました。

更に6月の全日本大学野球選手権大会では2回戦、準決勝、決勝に登板し、チームを33年振りの優勝へ導きます。

ここでも1年生として史上初のMVPに選出。

 

アメリカで開催された日米大学野球選手権大会でも日本代表として勝利を収めて敵地開催での初優勝に貢献しました。

 

秋にもリーグ戦で防御率0・78の成績を残して春に続いて2シーズン連続のベストナインに選出。

1年生投手の春秋連続のベストナインも史上初と、まさに記録だらけの年になりました。

 

 

この頃はフォームも綺麗ですし、球にもノビがあって奪三振力も高いですよね。

大学2年生時代

2年生になっても斉藤選手は活躍を続け、秋には世界大学野球選手権の日本代表に選出。

秋季リーグからは背番号をエースナンバーである「1」に変更され、リーグ最多勝となる7勝を挙げ、秋季リーグ優勝の原動力となります。

 

3回目のベストナインにも満票で選出され、最多勝とベストナインのダブル受賞。

大学3年生時代

大学3年生時となる年から明らかに斉藤選手の様子に少し変化が見られ始めます。

 

これまで無双状態と言ってよかった斉藤投手が春のリーグでは4勝2敗、秋には3勝2敗と春は最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得するなど実力を発揮していますが、秋からは防御率も3点台へと落ち始めました。

 

これは球速を追い求めた結果フォームを崩してしまったと本人が語っています。

更に奪三振も秋から急に減り始めて、かなり三振もとれるタイプだったピッチングスタイルが打たせて取るタイプに変わっていたのも気がかりとされましたよね。

 

プロ入りが近い時期での不調はかなり心配される面もありました。

この年の秋季リーグ後には早稲田大学での第100代目の主将に就任。

大学4年生時代

4年時の春には2勝3敗と負け越しますが、防御率は1・54と復調します。

 

秋季リーグでは慶応大学と勝率で並び、50年振りの優勝決定戦が行われました。

この試合は大注目を集め、神宮球場には大学野球というアマチュアの試合にも関わらず、36,000人という大観衆を集めて客席は見事に満席。

 

大一番に斉藤選手は先発を任され、8回途中までノーヒットノーランの快投を見せ勝利。

 

11月での明治神宮大会でも斉藤選手が全て登板し、早稲田大学の初優勝に大きく貢献。

 

3年時には調子を崩しますが、結局最後にはリーグ優勝、大学日本一というまさに「持っている男」としてのスターぶりを見せつけました。

 

大学時代の通算成績は61試合に登板し、371イニング、防御率1・77、31勝15敗、323奪三振と奪三振で歴代9位を記録。

 

不調期もあったものの早稲田大学の「黄金期を築いた男」として高校時代の人気や実力を見事に発揮した大学時代。

 

大きなプレッシャーもあったでしょうが、やはり精神面でも大物ぶりを感じましたね。

 

大学時代での活躍や知名度、人気により2010年のドラフトでは東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団から1位指名を受けます。

抽選の結果日本ハムが交渉権を獲得。

この世紀のスター選手は日本ハムでプロ人生を始める事となりました。

 

同ドラフトでは早稲田大学の同級生の大石達也選手(現西武)、福井優也選手(現広島)も1位指名されていて、同じ大学から同じドラフトで3人の投手が1位指名を受けたのは史上初の出来事でもありました。

 

早稲田大学が黄金時代と言われたのは、斉藤選手だけではなく他の投手のレベルの高さもあったと言えますね!

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斉藤佑樹選手の成績や年俸は?

出典:日本経済新聞

 

斉藤佑樹選手は北海道日本ハムファイターズと新人として最高評価の契約金1億円プラス出来高5,000万円、年俸1,500万円で契約しました。

2011年

ハンカチ王子の入団とあって、日本ハムでは開幕前から斉藤選手フィーバー。

斉藤選手の入寮時にはその様子が各局のテレビ局のワイドショーで放送され、多くの報道陣が押し掛けます。

キャンプでは前年度は11,500人だった観客が27,150人も入り斉藤選手の一挙手一投足が毎日の様に流れていました。

 

この時からすでにOBの解説者などからは、厳しい評価がされていてプロではもしかしたら通用しないかも?という評判も出ていました。

 

当時早大の先輩である広岡達郎氏から斉藤選手に指導をしようとして、斉藤選手が拒否して広岡氏が大激怒すると言う事件も起きています。

 

4月17日にはプロ初先発を果たし初勝利。

ルーキーの中では最速の勝ち星となりました。

 

5月には左脇腹を痛めて二軍落ち。

6月には1軍復帰し、故障で離脱もありながらもローテーション5番手として活躍し6勝6敗を記録します。

 

しかし投球の内容は決してレベルの高い物では無く、投球イニングの少なさや四死球の多さも指摘され期待値通りの活躍とはなりませんでした。

 

1年目の2011年の成績は19試合に先発し、6勝6敗、107イニング、防御率は2・69とまずまずの成績で終わります。

防御率の良さはランナーを出しても要所で抑えるピッチングが光った部分でもありますね。

 

年俸は倍増の3,000万円へアップ。

2012年

2年目となる2012年は開幕投手に指名され、3月30日の開幕戦で9回1失点で自身初の完投料理を挙げて素晴らしいスタートを切ります。

更に4月20日には自身初となる初完封勝利も記録します。

 

しかしその後は6戦連続勝ち星から遠ざかり、二軍落ち。

 

二軍での練習試合でアマチュアにもかなり打ち込まれてしまい、一軍復帰は9月の末までずれこみました。

復帰先発となる楽天戦では4回で6失点と大きく打ち込まれ、即二軍となりその後シーズンでの登板は無し。

 

2012年の成績は18試合に先発し、5勝8敗、104イニング、防御率は3・98と前年より悪化した成績となりました。

 

更に与四死球も104イニングで50と大きく増えていて、登板内容からも期待していた斉藤選手の姿とは違い、苦しんでいる事から「斉藤佑樹はもしかしてプロでは微妙なのか?」という意見が出始めます。

これは夏過ぎから痛めていたという、故障の影響もかなり大きかったのだと思います。

 

年俸は甘々査定と言われこの成績でも500万円アップの3,500万円となっています。

2013年

2013年にも前年の右肩痛の影響で二軍スタート。

二軍で9失点を喫したのに一軍へ昇格し、案の定即KOされてしまいこの年の1軍での登板はなんとこの1試合のみ。

 

0勝1敗、防御率は13・50と1試合のみとはいえ散々な数字となってしまいます。

 

年俸はプロ入り以来初のダウンとなる2,800万円で契約。

 

この年あたりから、もう斉藤選手は駄目なんじゃないか…?という意見がかなり声高に聞こえるようになってきました。

2014年

2014年も本来の斉藤投手のピッチングが出来ず、登板しては毎回の様にランナーを出してしまい苦しいピッチングが続きます。

 

主に二軍で過ごす事となり二軍でも1勝7敗、防御率は4.73という成績。

1軍での成績は6試合に先発し2勝1敗、防御率は4・85と平凡以下の成績で終えます。

 

年俸は2,500万円へダウン。

普通ならもっと下げられていそうですが、斉藤選手の人気による経済効果や期待度から年俸査定では甘い面が見られています。

2015年

2015年も全く復調の気配はなく、良い所無しで終わります。

2012年から苦しんでいる右肩の関節唇損傷の影響により年々良化の気配を見せず、手術も本人が選択しなかったために、怪我を抱え続けてるのではないかと言われていました。

 

2015年の成績は12試合に登板し、1勝3敗、防御率は5・74とかなり厳しい結果になっています。

年俸は更にダウンで2,300万円へ。

2016年

2016年も1軍で11試合に登板しますが、未勝利で終わります。

やはり高校時代と比べても、怪我の影響なのかフォームもとても苦しそうな感じになっていて、なかなか復調の兆しすら掴めていない感じです。

 

2016年の成績は11試合に登板し、0勝1敗、防御率は4・56でした。

 

近年ではでは戦力外の噂も出始めていて、完全に1軍で活躍する投手というイメージはもう無くなっていました。

 

しかし、球団やファンからの人気や期待度は未だに高く「斉藤選手なら本来の力を出せば絶対…」という想いが全ての方面から持たれ続けています。

 

スターとしての宿命なのか背番号も2016年にまだまだ期待の大きい「1」番を与えられていて、球団も諦めていません。

 

思えば大学時代の後半から少しフォームも苦しくなり始めていて、あの時代から怪我の影響があったのかもしれませんよね。

悲しい事に高校時代のフォームが一番綺麗に見えますよね…

持ち味だったコントロールもなりを潜めていて、まるで別人になってしまったかのようだとも言われることがあります。

 

ですがファンも球団も未だに期待値の大きい選手で、自分も復活してくれればこれ程嬉しい選手は居ないかもしれません。

大学へ行かず即プロになっていればどうなっていたのだろう…という話はあちこちから聞こえてきますよね。

 

まだまだ可能性はあるので信じて応援し続けたい選手ですよね!

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斉藤佑樹選手の性格は?

出典:東スポweb

 

 

高校3年時に大スターとなって早稲田大学へ進学した斉藤選手は、少しスターとして扱われすぎて勘違いをしてしまった部分もある選手と言われています。

 

大学では個人練習をあまりしていなくて、自分で自分の事を「一生何か持っているというか、こういう人生なのかなと思います」と言い放つなど自己評価が高い部分があります。

 

更に若いときにはテレビで「カイエン乗りてぇ」「青山に土地買っちゃう?」など何というか俗にまみれた発言もしており、少し印象は良くない部分が取り沙汰される事が多い選手です。

 

しかし性格の図太さは本当に強いと言われていて、結果が出なくても自分の道を貫くという強さを持っています。

 

それが逆に他選手はコーチからも「あいつはいろいろ教えても『はい』というだけで実践はしない」と不満も出ていて更に周囲には誤解されやすいタイプなんだと思います。

 

ダルビッシュ有選手とチームメイトの時期も1年あり、教えを乞う姿勢を最初は見せていましたが、いつのまにか両者の関係は冷え切っていました。

 

自分の道を通していると結果が出ない選手には、やはり敵が多くなるのは野球だけではなく社会全体の縮図なんでしょうね。

 

更に甲子園で宿命の相手となった田中将大選手の大活躍とも比較されて、本人もかなり苦しい目にあっています。

 

元々「練習嫌い」とも言われているだけに、自分なりの意見を持っているのでしょうが実力を示せないうちは周囲の意見は厳しいままなのかもしれません…

斉藤佑樹選手の彼女は?

斉藤選手は高校時代、大学時代と「ハンカチ王子」と言われるほどのスターだっただけに数々の女性と噂が流れています。

 

大学時代は週刊誌に交友関係がドンドン派手になっている、と取り沙汰される事も多かったですね。

 

その大学時代には女優の「深田恭子」さんとのデートを報じられています。

これは噂レベルで収束した話で実際に付き合っていたかというと多分無いと言われています。

 

更に大学在籍中に女優の「北川景子」さんとも関係があったという噂も。

芸能人と野球選手の合コンで出会った二人は本当に付き合っていたとか…

北川さんの事務所側から「二人が交際している事を公表したい」と斉藤選手側に持ちかけましたが、野球部から駄目だしをされたという話が出ています。

付き合っていたという話は本当の可能性もあるそうですが、その後の話はガセの可能性も高いと言われています。

 

2011年の日本ハム時代には元キャバ嬢の女性に体の関係や寝顔写真を週刊誌にスクープされてしまい、スキャンダルともなりました。

 

この女性には記事の中で「佑ちゃんは人生をちょっと舐めてるから、これが勉強だよ」と言い放たれていて、正直これは斉藤選手が少しかわいそうですよね;

やはりあまり遊んでいると、こういう性質の悪い女性にカモにされてしまう事もあるんですね。。

 

更に2012年に女子アナの「小林麻耶」さんと家族ぐるみで初詣に行ったという報道がありました。

 

しかしこれは小林さん側がハッキリと否定していて、斉藤選手も2013年に行なわれていたインタビューで当時別に一般人の方と付き合っていたと言い切っているためにガセネタだったんでしょうね。

 

近年の2017年の3月には、恵比須のデパート地下でカトパン似の美女と寄り添って食材の買い物をしている姿が報道されています。

寄り添う姿は恋人そのもので、現在はこの女性と交際しているという説が有力ですね。

 

この様に数々の有名人女性とも噂が取り沙汰され、夜の女性ともスクープを暴露されてしまっている斉藤選手。

彼が女性好きという事は間違いないでしょうが、今度は変な事をされない普通の彼女を見つけて幸せになってほしいですね!

 

しかし感想としては「やっぱりモテモテなんだなぁ」と思う事しか出来ませんでした;

まとめ

甲子園、大学での大スターだった斉藤佑樹選手もプロでは大きな壁に阻まれています。

祐ちゃんの今後プロでの復活劇は果たしてあるのでしょうか?

 

斉藤選手が戦力外になる姿は想像したくありませんが、このままでは…という感じはかなりありますよね。

 

覚醒して周囲の手のひらを返させるぐらいの復活を見せて欲しいものです…