出典:産経ニュース
過去には西武の不屈のエースとして活躍し、現在では移籍してロッテのエースとなっている涌井秀章選手。
その落ち着いたマウンド捌きからはすでに大ベテランの風格も感じます。
無尽蔵のスタミナを武器に毎年のように多くのイニングを投げ、チームに貯金を作ってくれるお手本の様なピッチャーです。
投球だけではなく、フィールディングも良く試合中の修正能力も高く、野球センス抜群の選手ですよね!
今回はそんな王道のエース涌井秀章選手のプロフィール詳細について紹介します!
涌井秀章選手のプロフィールは?
出身地:千葉県松戸市
出身高校:横浜高等学校
生年月日:1986年6月21日
身長:185㎝
利き腕:右投
打席:右打
ポジション:投手
年俸:2億5,000万円(2017年現在)引用:wikipedia
涌井選手は小学校時代ソフトボールを始め、野球は中学進学後のシニアリーグの「松戸シニア」で始めました。
シニア時代から評判は高い選手で高校は神奈川の超名門横浜高校へ進学。
入学当初から「松坂二世」と呼ばれるほど評価の高い選手でした。
1学年上には成瀬喜久(現ヤクルト)選手が居て、高校2年時には選抜甲子園に出場。
準決勝までは成瀬選手の後を引き受けるリリーフでしたが、決勝では先発を任されるも大量失点で敗退。
2年時の夏の大会ではリリーフを失敗してチームを敗退に導いてしまいます。
3年夏にはまたも甲子園に戻ってきた涌井選手は、1回戦で2安打完投勝利、2回戦でも延長に突入しながらも完封勝利、3回戦でも完投勝利とこの時から圧倒的なスタミナを見せつけていました。
準々決勝の駒大苫小牧に敗れ敗退しますが、高校生ながらもドラフト1位候補と言われる評価をされる程知名度の高い選手でした。
2004年のドラフト会議では西武ライオンズから1位指名を受け入団。
涌井秀章選手の西武時代の成績や年俸は?
涌井選手は西武ライオンズと契約金8,500万円、年俸800万円で契約。
2005年
1年目となる2005年は開幕一軍入りを勝ち取るも、1勝に終わりプロの壁に阻まれます。
二軍では優秀選手賞を受賞しました。
2006年
高卒2年目となる2006年で早くも1軍のローテーションに定着し、捕手も同じ10代の炭谷銀次郎選手だった事で「10代バッテリー」として話題を集めます。
4月には炭谷選手とのバッテリーで自身初の完投と完封をあげ、6月にはリーグ1位の防御率に3勝1敗で19歳にして初の月間MVPを獲得。
オールスターにも初出場を果たし、2年目にして早くも才能を開花させます。
2006年の成績は178イニングに登板し、12勝8敗、防御率3・24と堂々たる成績を残しました。
年俸は早くも3500万円へアップ。
2007年
デビュー当時は150キロを連発し、速球中心のパワーピッチャーの印象もあった涌井投手ですが、2007年からは打たせて取る投球に切り替えるモデルチェンジを果たします。
これが功を奏し、3年目にして最多勝のタイトルを獲得。
2007年の成績はなんとこの年のリーグ最多となる213イニングを投げ、17勝10敗、防御率2・79と抜群の成績を残し、若干20歳にして最多勝タイトルも獲得。
年俸は8,500万円へアップとなり、早くもスターの道を歩み始めます。
2008年
2008年は開幕投手を務めます。
前年にモデルチェンジをしたことからピッチング内容が「若いのにじじくさい」と言われ、球速アップに取り組みました。
しかしあまり効果は出ずに前年より軒並み数字を落とします。
8月には五輪で2勝を挙げますが、帰国後に調子を落としてしまい四死球も増えてしまう等涌井選手にとっては少し不本意なシーズンとなりました。
2008年の成績は173イニングを投げ、10勝11敗、防御率は3・90と悪化。
しかし二桁勝利や五輪を原因に調子を落とした事が考慮されたのか、年俸は大きくアップし1億2,000万円となり、21歳のシーズンにして早くも1億円プレイヤーとなります。
2009年
2009年も開幕投手に選ばれ、2年連続の開幕での先発を果たしました。
この年も日本代表に選ばれ、WBCに参加した為に厳しいスケジュールとなりますが、ものともせずに活躍。
前年に取り組んでいたモデルチェンジの効果が上がって来て球速もアップし奪三振が増え、力強い投球を見せ続けました。
7月には月間MVPには選ばれる4試合で4勝の活躍も見せるなど、年間を通して安定。
しかしこの年の涌井投手はあまりにも球数が多く、イニング数も両リーグ通じて一人だけ200イニングを超えていて「投げすぎではないか?壊れるぞ?」と不安視してる方も多い年でした。
2009年の成績は211イニングを投げ、16勝6敗、防御率2・30、奪三振も199と三振数も多くなり当時最も受賞が厳しいとされていた沢村賞を受賞。
年俸は2億2000万円となり、22歳にして2億円を超える年俸を手にしています。
2010年-2011年
2010年には14勝8敗と活躍しますが、防御率が悪化し3・67へ。
2011年には9勝12敗と負け越してしまいますが防御率は2・93の成績を残します。
2012年-2013年
2012年は開幕から3連敗を喫して4月には登録抹消。
5月に復帰した後は抑えのエンリケ選手が不調の為、涌井選手が守護神となります。
しかし5月18日発売の「フライデー」で涌井選手が女性問題が発覚し、ベッド上でのツーショットなどが公開され、品格を問題視され出場登録を無期限抹消とされました。
6月16日に謹慎が解けて復帰すると年間通して抑えとして活躍し、リーグ2位の30セーブをあげました。
2012年の成績は1勝5敗30セーブ、防御率3・71という成績でした。
また、シーズン前のWBC日本代表合宿中に二度目となる女性問題が報道されてしまい、球団から厳重注意を受けます。
翌2013年は先発に戻りますが調子は戻らず、中継ぎを経由して結局最終的には抑えとして定着。
2013年の成績は5勝7敗7セーブ13ホールド、防御率3・90。
この年のシーズンオフにFA権利を行使してロッテへ移籍しました。
涌井秀章選手のロッテ時代の成績や年俸は?
出典:スポーツ報知
涌井選手は千葉ロッテマリーンズと2億2,000万円の3年契約を結びました。
2014年
ロッテ移籍後は本人の希望もあり、先発一本で行くことが語られました。
4月15日にはロッテ移籍後初勝利をあげ、古巣西部からも勝ち星をもぎとり史上13人目の全球団からの勝利の記録も残します。
前半は好調の波が激しく、1時二軍落ちもするなどしますが、後半には巻き返し3年振りの規定投球回数に到達。
2014年の成績は8勝12敗、防御率4・21という成績でした。
ピーク時の涌井選手から見ると少し物足りない成績でもあり、「若いころに投げすぎた」ツケが来てるのではないか?という意見も多々ありました。
2015年
2015年は開幕投手となり、6回無失点でいきなり初勝利を挙げ良いスタートを切ります。
4月にはロッテ移籍後初完投などを記録し、シーズン最終戦では最多勝を掛けての志願登板で見事延長戦まで投げ切り、大谷翔平選手と共に6年振りとなる最多勝のタイトルを獲得。
涌井選手復活の年となりました。
2015年の成績は15勝9敗、防御率3・39を記録。
2016年
2016年も前年同様好調を維持し、2年連続の二桁勝率となる10勝を挙げます。
2016年の成績は10勝7敗、防御率3・01と勝利数は落ちましたが、防御率は改善していてエースとしての仕事をこなしました。
2016年オフに年俸変動制で2億5,000万円の3年契約を結んでいます。
球団から「長い間ロッテでやってほしい」と乞われての複数年契約となりました。
2017年
2017年は少し不調気味の開幕スタートを切っています。
6月17日の時点で2勝5敗、防御率4・23とまだまだ本調子を出せていませんね。
ロッテも大きな連敗に巻き込まれ、涌井選手も調子に乗りきれていませんがまだまだこの後猛追してくるのが涌井選手ですよね!
完成度の高いピッチングをいつも見せてくれますよね。
涌井秀章選手の性格は?
マウンド上ではとてもクールで「ポーカーフェイス」と言われている涌井選手。
しかしプライベートでは漫画とゲームが大好きで「ONEPIECE」が好きすぎて、帆足和幸選手と共に「ONE PIECE会」を結成するなど若者らしい行動も見せています。
「ツンデレ」とも「おこちゃま」とも言われ、「ピッチングは大人、言動は子供」とも言われていて中々の不思議ちゃんな性格だそうです。
野球に関してはとんでもない努力家で、あの底知れないスタミナは彼の努力から来ていると評されています。
自分ではエースと呼ばれているのに違和感を持っていると語っていますが、その野球への姿勢がまさにエースそのもので若手への影響力も大きいそうです。
多くを語らずとも、身を持って投手としての見本を示すその姿勢は高く評価されていますね!
涌井秀章選手の結婚相手は?
出典:naverまとめ
涌井選手はその恰好良さもあり、西武時代から女性問題で何度も報道されるなどプレイボーイとしても有名です。
歴代の彼女さんには「杉崎美香」さんも取りざたされました。
当時人気のフリーアナウンサーで、交際していたのは確実のようですが、スピード破局したとも言われています。
お互いが多忙のためにすれ違いが生じて上手くいかなかったとか…
他にも噂レベルでは元AKBの板野友美さんや、芸能人の香里奈さんなども噂レベルでは名前が出てきています。
いずれも大物ばかりで涌井選手はさすがのモテっぷりですよね!
しかしそんな涌井選手ですが2016年のシーズンオフに結婚を発表。
そのお相手は依然から交際が噂されていたモデルやタレントとして活躍していた「押切もえ」さん。
出典:サンスポ
プロ野球界のトップクラスの投手と有名人の押切もえさんとの結婚はビッグカップルとして大きく報じられました。
涌井さんからの猛アタックで2015年から交際して、丁度1年後の交際記念日に涌井選手がプロポーズしてゴールインとなったそうです。
数々の浮き名を世に轟かせてきた涌井選手ですが、とうとう家庭に落ち着いたんですね。
共に大物ですが、仲良く末永く幸せになってほしいですね!
まとめ
西武のエース、ロッテのエースとエースの宿命を背負ってきた涌井秀章選手。
その早熟とも言われた高い実力は今でも衰えきらず活躍を続けています。
ロッテと複数年契約を結んだこともあり、メジャーは断念したかもしれませんがこれからもロッテの勝利に貢献を続けてくれるでしょうね!