出典:朝日芸能DIGITAL

 

1998年、巨人に黄金ルーキーとして入団しスターとして活躍し41歳の若さで球界の盟主と呼ばれる読売ジャイアンツの監督となっている高橋由伸(よしのぶ)選手。

 

現役時代には「ウルフ」「パンダ」と呼ばれ巨人の黄金時代を支えてきた高橋選手の現役引退からの即監督就任には誰もが驚かされました。

 

まだまだ代打で3割近い成績を残していただけに、余計に何かを感じてしまいましたね。

 

名選手であった高橋選手ですが、監督としては苦戦が続いています。

選手としては天才と呼ばれた高橋選手だけに、監督としても花開いて欲しい所ですね!

 

今回はそんな高橋由伸選手についてのプロフィール詳細を紹介します!

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【高橋由伸選手のプロフィールは?】

出身地:千葉県千葉市中央区
出身高校:桐蔭学園高等学校
生年月日:1975年4月3日
身長:180㎝
利き腕:右投
打席:左打
ポジション:外野手、一塁手
引用:wikipedia

高橋選手は3歳の頃から誰にも教わらない内に、左打席でのスイングを身に付けていたそうです。

 

小学校4年で地元の少年チームへ入団し、すぐに6年生がメインのレギュラー組へ入れられて監督から卓越したセンスを持っていると見初められました。

5年生時には3番ショートで、6年生時には4番でエースとして県大会2連敗に大きく貢献しました。

 

幼少期からお父さんっ子でもあり、常に父親と自主トレをこなしていて、身長の倍もある竹を使った素振りが日課というエピソードもあります。

 

この当時から人前に出るのが苦手で、目立つ事も嫌いと語っています。

監督としても何か影を感じてしまうのはこの部分も関係しているかもしれません。

 

中学に入っても4番エースとしてチームを全国大会2連覇を果たすなど、天才野球少年ぶりを見せますが、途中では野球を辞めたい時期があったそうで毎回兄に暴力を振るわれ止められていたそうです…

中学時代の成績は打率.559、17本塁打、65打点と、異次元の成績を残しています。

 

中学卒業後は野球を辞め、勉強に集中して将来を考えていた高橋選手は父に「あと3年だけお父さんを楽しませてくれ」とお願いされ、甲子園を目指す事にします。

 

数多くあったスカウトの中から文武両立が出来る桐蔭学園高校を選び、甲子園を目指し進学する事になりました。

 

入部時は投手として期待されましたが、監督からたぐいまれな打撃センスと強肩を活かす右翼手への転向を勧められ、最初は渋りましたがライトならすぐにレギュラーにすると言われ決断。

こうして1年生時から名門桐蔭学園でレギュラーの座に付きました。

その年に夏の甲子園にも出場し、1年ながらも甲子園デビューも果たしています。

 

2年時には4番打者と投手を兼任してレギュラーとして活躍し、2年連続となる夏の甲子園に出場。

 

1回戦で敗退しますが、その後高橋選手は主将に任命されます。

本人は「チーム引っ張っていけるようなタイプじゃない」と拒否しますが、監督命令で引き受ける事になったと言います。

この頃から現在の高橋選手の様に圧倒的な実力による周囲からの地位固めをされ、避けれなくなる印象が出ていますね…

 

3年生時には甲子園に出場出来ず、高校生活を終えます。

この時点でプロからのスカウトの誘いを受けていますが、元々は慶応へ進学する目的だった為にプロへは行かず、慶応義塾大学へ進学。

 

慶応大でも高橋選手は1年時からレギュラーとなり、春の開幕戦から5番三塁手として出場。

ルーキーとしては新記録となる3本の本塁打を放ちます。

 

3年生時の春季リーグでは打率.512、5本塁打を記録し、三冠王にも輝いています。

 

4年生時にはまたも主将を任され、あまりの強打者ぶりに敬遠も増えますがチームを9シーズンぶりの優勝に導く活躍。

 

4年時の秋には東京六大学リーグ本塁打記録を更新となる通算23本塁打を放ち、「大学史上最強の打者」とまで呼ばれる程の選手になっていました。

 

その後日米大学野球でも日本代表の4番を務め、3試合連続本塁打を放つなど活躍。

インターコンチネンタルカップでも151連勝中のキューバを打ち砕く本塁打を放っており、その甘いマスクと全国レベルとなった知名度で大学のスターとなります。

 

人格面でも高く評価されていて「彼が居なかったら野球部から何人も退部が出ていた」と語られていて、後輩には怒らずむしろ庇ってくれるという現在でも残っている高橋選手の優しい性格が言い伝えとなっています。

 

プロ野球入りにかんしては当時は逆指名と言う選手自身が入りたい球団を指名出来る制度があったために、プロ9球団による高橋争奪戦が繰り広げられます。

 

千葉では高橋選手の出身地であるために署名が集められて「ロッテに逆指名を」と署名運動が行われ数万人の署名が集まるなどの前代未聞の人気を誇りました。

 

結局本人から志望球団はヤクルト、西武、巨人の3球団に絞り、巨人へ逆指名を決断しました。

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【高橋由伸選手の成績や年俸は?】

出典:naverまとめ

高橋選手は契約金1億円、年俸は1,300万円で読売ジャイアンツへ入団を決めます。

1998年

入団時から長嶋茂雄監督から「21世紀のスター」として期待され、開幕戦から7番右翼手としてスタメン起用されプロ初安打を放っています。

 

1年目から打率3割を残し、本塁打は19、打点75とルーキーながら恐ろしい成績を残し、外野からの補殺も12補殺を記録し、新人外野手としては史上初のゴールデングラブ賞も受賞しました。

 

今後1998年から6年連続にわたってゴールデングラブ賞を受賞し続けています。

初年度から「天才」としての実力を見せつけました。

1999年~2015年

2009年には腰の手術でほぼ出場出来ずに終わるものの、主に巨人の1番、3番、5番打者として長い期間にわたって巨人で活躍を続けました。

 

「恐怖の1番打者」とも呼ばれ、先頭打者としていきなりテレビを付けるとすでに高橋選手の本塁打で先制している事も多く、巨人の名物となっていましたよね。

 

しかし引退年となる2015年のオフには、晩年以降定番となっていた「代打の切り札」として打率.395を残していたにも関わらず、原監督の勇退により2016年からの監督要請をされ受託。

 

ここに至るまでには周囲の大物からの色々な手回しがあり、高橋選手は監督を受けざるを得なかったとも言われています。

 

代打として4割近い数値を残していたにも関わらず、強制的に引退となり監督へと据えられたその姿には悲壮感も漂っていて、学生時代からの強制的なリーダー抜擢がここでも行われたと話題になりました。

 

高橋選手の現役時代の通算成績は…

1819試合に出場し、打率.291、本塁打321本、986打点、安打1753本。

ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞は7回受賞。

現役時代に稼いだ年俸は総額約40億円でした。

 

「天才」と呼ばれ真面目な性格で守備では打球をどこまでも追うスタイルの為に、怪我も多い選手となってしまい入団時の期待度よりは低い生涯成績となってしまったかもしれません。

 

しかし紛れもなく一流以上の数字を残していて、巨人生え抜きのスターとしての地位は間違いなく得ることになりました。

 

本人が本当に監督として納得しているかは定かではありませんが、年齢層の上がったチームに若手はほとんど育っていなく、貧乏くじを引かされた感は否めません。

 

2017年には球団新記録となる13連敗も記録してしまい、やつれている高橋監督の姿が連日放送されていました。

 

大好きだった選手だけに、また晴れやかな笑顔が見たいですね…

 

 

テレビを付けると、高橋選手の先頭打者ホームランが出て点が入っていた当時の記憶がつい最近に感じます…

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【高橋由伸選手の性格は?】

原監督からも「優柔不断」とも言われていて、イマイチ決断しきれない性格と言われています。

 

また後輩から慕われるとてつもなく優しい性格とも言われていて、選手を叱れない事から監督には向いていないとも周囲から囁かれていました。

 

高校で野球を続けたのも、プロ球団を巨人に決めたのも、監督として断れなかったのも全て他人の意向という見方もあり、優しすぎる性格が災いしてるようにも見えます。

 

更に超が付くほどの真面目な性格で、選手としては多数の人間から尊敬を受けている高橋氏。

 

監督としては真面目すぎる性格で責任を感じすぎて、とても辛い姿が見えます。

 

巨人が一転快進撃をして早く高橋監督の笑顔が見たいですね;;

高橋由伸選手のお嫁さんは?

高橋由伸選手は現役選手時代に日本テレビの元アナウンサーである「小野寺麻衣」さんと結婚しています。

 

当時高橋由伸選手は球界きってのイケメンで、バレンタインには数えきれない程のチョコが巨人に届いて居たとか…

 

小野寺さんもそんな高橋選手のファンだったそうで、知人の紹介から交際に発展しゴールインしたそうです。

 

 

選手の時も監督である現在も良妻賢母として高橋氏を支えている評判の奥さんで、傍目から見ても理想的な夫婦に見えますね!

 

お子さんは女の子が2人。

美男美女のカップルだけに娘さんもかわいいでしょうね♪

【まとめ】

大学時代から屈指のスターとして活躍し、巨人に入ってからも球団の看板選手としてエリートコースを歩んできた高橋由伸選手。

しかし、表のその華々しい道筋と正反対に本人は周囲に振り回され苦労してる感じも強いですよね…

 

野球選手として突出した才能を持っていただけに、監督としても花開いて欲しいと思います。

 

高橋選手に憧れて野球を始めた少年も多いですし、今30代40代の方には永遠のスター的な存在ですからね!